演習準備で忙殺。一日が超早い。
脳内麻薬の分泌具合が心地よくもある。
また扱っているのがフロイト『夢判断』なので
自ずと自身の夢と精神構造に照らしながら
読むことになるので、
そのドーパミン分泌具合も手伝って
無意識の領域にズブリズブリと入り込んでいくような
感覚に陥ります。錯乱します。
Ⅶ章『夢事象の心理学』を主にやってるのですが、
心的組織の睡眠時における退行現象の件がとても面白い。
覚醒時、知覚組織から運動組織=観念へと流れている心の作用が
夢では逆転して、意識された観念から知覚へと逆流するという説。
夢では観念が知覚として表象することで、あたかもそれを
体験しているかのようにリアルに感じられるんですね。
面白〜い。
それっていうのは創作活動の流れと同じじゃないか、と思った。
作家の抱えた観念を作品という表象の中に落とし込む、
という作業を創作行為と捉えるなら。
しかも、いわゆる天才的な作家の場合、
理詰めで書くのでなく、なにげなく書いた文章が
後から解釈してみるとその背後にこういう観念があった、
ということが往々にしてありますね。
夢もまた、それを夢として体験している限りにおいては
そもそもあったはずの観念は解体され、
知覚だけが感ぜられるのだそうです。
こう考えると夢と創作との関係は深そうに思います。
またこうした退行現象は夢に限ったことではなく、
ヒステリー、および偏執病の患者が体験する
幻覚もこれによって説明がつけられるようです。
とするなら、天才はやはりどこかパラノな面を持ってる
ものなんでしょうね。
いやいや面白いです。


レビューサイトが更新できないのが気掛かり。
来週木曜終わったらズバッとペース戻す所存。


74になる爺さんが直腸ガンになってしまった。
切除した場合、大体持って3年がいいとこだそうだ。
退行繋がりではないけど、爺さんは近頃、
年寄り特有の幼児化が進んでワガママここに極まれり、
という状態になっており、周囲からもやや疎まれ気味でいる。
年寄りは、彼らのお陰で自分が生きて来られたという
理由によって当然無条件に尊敬すべきものではある。
しかしバスに乗っていてもよく思うけれど、
最近の老人は本当に見苦しい。
老醜を晒している姿を目にすると、矛盾した
二つの気持ちが沸き起こってやりきれない。
老人は尊敬すべきものではあるけれど、
老人も自分が年を食っていることに甘えてないで
尊敬に値するような素敵な生き方を見せてほしいものだ。
後の世代に自分という存在を示すための
最後にして最大の晴れ舞台が
「いかに死ぬか」ということじゃないか。
今さら変化を強要するのも酷だとは思うけど、
俺は爺さんにあと3年、素晴らしい生き方をして、
この上も無いような素晴らしい死に方をして戴きたいと思う。
そうしたら、俺はそんな爺さんの孫であることを
誇って生きていけるし、いかに彼が素敵な人間であったかを
後の世代にまで語り継ぐことができる。
人間の尊厳とかいうものは、そういうところから
育っていくんじゃないか。