情報の応酬、成熟。

久々に図書館に行く。
図書館に行くとコピー魔と化す。
主に雑誌類の面白そうな記事をガンガンコピる。
キネマ旬報』から『ファミ通』から
『国文学』までなんでも。


何か他人に見せられるもの、文章、小説、本、曲、映画…
っていうのは詰まるところひとつの体系なんだという
実感が、当たり前のことだけど、最近強くある。
逆にそれなりの体系を成していないと、
全くの赤の他人に見せて納得してもらえる程の価値は
無いんであって、どんなにトチ狂った題材を
扱っていようと、重要なのは焦点が定まっていて、
それなりに肝が据わっていることなんだと思う。
あらゆる本や雑誌というのはそうして
成り立っているんだなーと。


けれど、それはあくまで作り手側の体系なんだから、
例えば雑誌にしても全部のページに目を通す必要はない。
受け手側も自分の体系を見据えて受け取る姿勢が大事
なんであって、雑誌を読む時も自分にプラスに
なると思う情報だけぶん取ってくれば良い。
そう考えると、雑誌で使える部分なんて
パレトの法則じゃないけど、全ページの20%も
あるかないかでしょう。
そう気づいた時に本を本という状態で持っていることが
とてもバカバカしくなり、最近は本をバラしまくり、
雑誌も極力買わず、必要な部分だけコピーすることに
決めているんでした。


さらに希望を言えば、そうしたことを続けていく内に
何らかの体系が自分の中で徐々に熟成して、
文章か本か、何かのメディアに乗せて
まとめることができたら素晴らしい。
そしてそれを見たやつが、その内の自分に必要な20%だけ
かすめとって、また何かにまとめていけばいい。
情報はそうやって徐々に成熟していくモンじゃないのかな。
という、ことを考えて独り悦に浸っています。
それにしても、集めている情報があまりに節操がないので
もっとシンプルになりたいとも思います。