15th session@家。

多分、15回目のセッションになる、はず。
発表のレジュメ作るはずが流れでセッションに入ってしまったのと
あとその発表が終ったナチュラルハイでスタジオに入ったのを
カウントすれば。
私たちはいずれも就活時期渦中なので、ツラを付き合わせれば
就活のお話になってばかり。
なるべく前向きな話に持っていこうとするも、双方口数が減り
互いに俯いているといった状態もしばしば。
この日もセッション半ばでバーミヤンに行ったが最後、
数時間話し込んでタイムオーバーになってしまった。


結論として意見が噛み合ったのが、ひとつには何があっても
ミュージックを捨てちゃあいけねえ、ということ。
音楽なんてやるもんじゃねえぜ、ハートに持つもんだぜ、
という点で我々は意見を同じくしている。
これは文学部出身の性かもしれない。
文学を職業にしてしまうことが違うナア、と感じるのも、
やはり文学もやるものではなくて、心に抱くものだからだと
思うからだ。
結局は、おこがましい話だが、人間を高めたいのだろう。
そして、この考えは結局仕事も音楽も文学も高めたいぜ、という
恐ろしく貪欲な志向を持っているのだと思う。


お袋が先日テレビで観た音楽家の話を、熱く語ってきた。
その人は、名のある大學に通い院まで出たが、音楽にはまって
楽家になろうとし、極貧生活を味わいながら50歳を超えて
ようやく日の目を見たのだという。
しかし、私はこの人を別に人間としてすごいとは思わない。
日の目を見たのは運がよかったからじゃないか。
就職した方がよかったんじゃないかと思う。
天才はともかくとして、凡人が甘えちゃいけないよ。


そんな話を通して、まいかにも文学部生的で微笑ましいんですが
森鴎外ってやっぱグレートだぜ」てな話に行き着く。
彼は作家でありながら、同時に軍医でもあった。
しかも、そのどちらにおいても実にグレートな仕事ぶりなのだ。
最終的には軍医総監の地位を持ち、これは実現しなかったが
貴族院勅撰議員に任命されるような裏話さえあった位だ。
そして、文学においては、そういう自らの名望を否定し、
官僚批判を通して自己の相対化をやっていたわけだ。
遺書には、本名の「森林太郎」として死にたい、ということが
書かれている。
作家森鴎外としてでもない、軍医総監としてでもない、
裸の一個の人間として死にたいというわけだ。
うーん、アンタ、ほんとグレートだぜ。


森鴎外になりたいよね」という、端から聞いたら「ハア?」という
結論を得て、この日は解散。
ちなみに、セッションは「坂道」アコギ×2+エレキで録音してイマイチでした
というのと、リズムマシーンで遊んだのと、
なぜか800cherriesの「fresh water」を合わせました。