『ラストデイズ』@渋谷シネマライズ。

juriano2006-03-21

http://www.elephant-picture.jp/lastdays/
うーん。正直言って、これはツライ。
ガス・ヴァン・サント作品でカタルシスを望むのは
お門違いだってのは最初から分かっていたけど、
『エレファント』以上に何もない作品。


主人公ブレイクはあくまで虚構の人物であり、
カート・コバーンとは別人物である。
ガス・ヴァン・サントはカートの死と同時期に友人の死を
体験しており、ブレイクというキャラクターを造形するに
当たり、この友人を投影しているとのこと。
この映画が描いているのは、一貫してもはや誰にも
救い出すことのできない失望を抱えた男の孤独な姿である。
サントは恐らく、これを作品として対象化するには
友人を救うことのできなかった己の無力さに対して
感傷的になりすぎているのではないだろうか。
この映画、実は人物造形にカートの姿を借りたサントの
プライベート・フィルムなんじゃないかと思う。
果たしてブレイクはカートである必要があったのだろうか。


サントとしては、カート・コバーンの死の実際を
描き出したいという意図があったのかもしれない。
誰に感情移入することもなく、淡々と起こっていくことを
傍観する視線は『エレファント』と同様。
コロンバイン高校の銃乱射事件を扱った『エレファント』の場合
メディアの偏向情報という表層に埋もれた事件の実質を
描いた意味でこの手法は効果的だったが、
カートの死について言えば、今さら仰々しく描かれなくとも
カートのファンはその死の実質を正確かつ健全に理解していると思う。
サントの詩的な映像が感覚レベルでの理解を促すものであるなら、
表現手段としては映像が音楽に勝るはずはない。
つまりカートについて知りたければ、彼の音楽を聴けば
それでもう充分であって、それが一番正しいのである。


結局、この作品の欠陥は個人的な感傷を描きたかったのか、
カートの死の実際を描きたかったのか、焦点が定まっていない
ところにあると思う。
あるいはその両立を目指したのかもしれないが、両者が
効果的に作用し合っているとは言い難い。
カート・コバーンを知らない人に対して何の配慮がないのも、
作品としては厳しいと思う。
ただマイケル・ピットは頑張って役作りしていて、
話し方はすごく似ているし自作の曲も素晴らしかった。
あと印象的だったのが、レコード会社の重役として登場する
キム・ゴードンの存在感。
母性たっぷりのまなざしでマイケル・ピットの姿を借りた
カートを見つめて、彼女は何を思ってたんだろう。