久々に現像をした。

juriano2007-10-04

音楽を頑張り始めたら写真をトンと撮らなくてなってしまった
へぼい私ですが、それでも未現像のフィルムがじわじわ
溜まって、11本くらいあったのでまとめて現像に出した。


そしたら、これが面白かった。
時間が結構またがっていることもあり、撮ったの完全に
覚えていないんです。
記憶の底に一旦埋もれたイメージとの再会。無意識への旅。


デジカメで撮ってその場でプレビューしたら、
その時点でイメージが記憶に残るんだけど、
アナログだと撮ってその場で忘れてしまう。
ノーファインダーで撮った場合は何が撮れたのか
そもそも分からないし。
でも、やっぱそれが良いんだろうね。
そのイメージに納得する、しないに関わらず
とにかく「写ってしまっている」という不可抗力。


仕事はイメージ通りの写真を撮る必要があるんで
デジカメ様様だけれども、
プライベートでアナログを撮る分には、意図を超えて
こちらの貧弱な想像力を粉砕してくれるような、
覆される体験がとっても快感です。


『来るべき言葉のために』は
「写真は思想のための挑発的資料である」とアジテーションした
中平卓馬が作った言葉で置き換えできない写真を並べた写真集。
「キャプションのつけられない写真」というものに
僕も惹かれてしまうものですが、それはやっぱり
既成概念を覆される体験がしたいからだと思った。
写真のそういうのが好きなんだと気づいた。
気づくってイイヨネェ。