ライフスタイルの細分化。

練習後、メシ喰いながら話すことと言えば、
中学生レベルのワイ談であることが多い
我らがホームタウンですが、
「オナニーが我慢できない」から「彼女がほしい」
「結婚したい」「子供がほしい!!」へと飛躍する
ぺり君は心底イカスやつだなと思った。
「今まで理想が高すぎた。もう誰でもいいって気がしてきた」
と彼は言うが、それは実は大変に健全ではないかと思う。


婚活という言葉があるらしい。
結婚活動。30歳前後の男女がインターネットを通じて
就活よろしく理想のパートナーを探すってやつらしい。
僕は就活も婚活もまっぴらだ。
勝手にやっていやがれクソ共、ファックオフ。
といいたい。


理想の職業、理想の結婚相手。
「ゼロか100か」でしか判断できない感性。
感覚が鋭くなってるといえば聞こえはいいけど、
どう考えたってよくない。


やはり敵はライフスタイルの細分化という
状況にあると再認識した。
あらゆる価値観が氾濫する世の中で、
ひとは自由(孤独)に耐えられるほどタフじゃないから、
何らかのレッテルを自分に貼り付けて落ち着きたがる。
好みの音楽、好みの服装、好みのアティチュード。
それを自分に貼り付けるだけの安直な自我形成。
そしてその繰り返し。
ライフスタイルは一層細分化し、世界観はやせ細り、
一層偏屈になって、今やもう息切れ寸前じゃないか?
誰もが自分のライフスタイルを死守すること
だけしか考えられない。
少しでも価値観がずれている他人とは
まともなコミュニケーションが成り立たない。
うざい、きもいと言い逃れては
己の貧弱なアイデンティティに必死ですがる。
不毛すぎてやりきれない。


人間は常に代謝し続けるからステキなのだと
ずっと考えている。
「昨日までの自分なんてケトバシてやれ」と仰る
岡本太郎御大は正しい。
昨日までの価値観なんて犬にでも呉れてやれ!
昨日までの理想像に泥を塗りつけてやれ!と思う。
古くなったアタマはどんどん捨ててしまわなければ
その先に行けない。成長できない。
代謝をしなくなった人間なんて死んだも同然だ。
人畜無害な死人よりタチが悪い。


だから主義主張なんて、理想像なんて
安易に持つべきではないと僕は思う。
むしろ積極的に捨てまくって、ゼロに近くなって
スポンジのようにあらゆるものを吸収したほうがいい。
そしてまた捨てる。
途方もなくエネルギーを使うことかもしれないが、
その振幅が人生をステキにしていくと信じる。


マア最近痛感するのは、イイ女っていうのは
つまり普通の女性だなということです。
パッと見、普通なのに実は超アングラな性癖を
隠し持っていたりしたら僕はめろめろになってしまうと
思われます。
でも荒木経惟御大の言う「すべての女は美しい」って
いうのは多分真実なんだろうなあ。
なんて、大人な言葉なんだろうなーと思う。