久々戯言。

たまに戯言を書きなぐろう。
三十路を前にして自分が何をしたいのか見えてないというのは
相当情けない状態だと思うんですけど。
先延ばしにしてきた結果、むしろ年がいけばいくほど
ブレまくり、自分がぼやけていくのを感じている。
例えば詩にしても自分の書ける言葉は
どんどん磨り減っていってるような気がする。
感情にピントが合わない。


一体何の世迷言かと我ながら思うが、
仕事に対するスタンスが要因としてはでかいっぽい。
多分、男子たる者仕事がアイデンティティーにつながってる場合が多いと思うけど
それはもう自分の場合、意識的に拒絶が働いてて、
むしろスーツとか着て何やってんだろうかと、7年目にもなって
未だに思っている自分の不適合ぶりは割とすごいんじゃなかろうか。
ともかく一週間のうちの大半を自意識と離れたところで過ごしてるんで、
正しい意味での「労働」だと思う。
「労働」ゆえに多少失敗があってもどうでもいいと思えるし、
オンとオフをつけやすいというメリットもあるんだけど。


但しこの場合、いくら仕事を頑張ってても
仕事だけで終わってたらそれはサボってるという自己認識なので
仕事以外の本分が見えない/回らないときつい訳で。
それでこう、焦燥のままに無い感情を搾り出して曲をつくろうとして
空回って、欝欝としてくる悪循環。
こういった仕事に対するスタンスの取り方は、多分悲観的であって、
俺は子供の頃から「労働」というか、義務ということに対して
悲観的なところがあったような気がする。
つまり、月曜の朝布団の中で感じる、また判で押したような一週間が
始まることに対する絶望感。憂鬱に眺める天井。
そういう生き方から逃れたいとずっと思っていたけど
結局は引き寄せられている皮肉。
この生きるだけで精一杯の時代に、随分甘ったれたことを
言っているような気がしますが、自分が正しく生きてるのか、
何をもって正しいとすべきか三十路を前にして
益々見えなくなって悲しい限りだ。
同世代はその辺をどう折り合いつけているんだろう。
人生なんて始まってすらいない気のしてるうちに
プツンと終わってしまうものかもしれない。
そう考えると不安だ。
長生きしたいなんて思わないけど、自分の人生を生きてるという
実感がもうちょっとあってもいいのじゃないかと!!