飯野賢治さんの早すぎる死に寄せて。

juriano2013-02-22

飯野賢治さんは、様々なプラットフォームで夢を届けてくれた人だった。
中学、高校生の頃、Dの食卓エネミーゼロも、リアルサウンドも、
D2も、氏のつくったゲームは概ねリアルタイムでプレイしてきた。
(後に、小学生のときやったファミコンの「ウルトラマン倶楽部2」なども
下積み時代の氏の作品だと知る)
しかし本当に痺れ、憧れたのは完成物としての作品自体よりも、
氏の世界観や物事の見方、生き様のほうだった。


特に、高校を中退してお先真っ暗になっていた当時、
氏の自伝本を読んで、メチャメチャ勇気づけられた。
高校中退して、音楽漬けになって、旅をして、
色んな世界観を吸収して、強烈な個性を獲得、
若くして成功するその姿に、恥ずかしながら
ちょっと自分を当てはめてみたりもして、
泥沼の中から精神的に救い出された気がしたものだ。
飯野氏が毎回豪華ゲストを呼んでトークする
ラジオ「ナイトワープ」も、後追いだけど
Podcastして大学生の頃よく聴いた。
情熱大陸」の録画も、何度観たかわからない。
YMOも飯野さんの影響で聴いた。
アートリンゼイも飯野さんの影響。
デカルトの「方法序説」も、ユング心理学も。


D2の興業的失敗からゲーム業界を退いてから
一般の目に触れる機会が少なくなったが、
僕にとってはリアルタイムに勇気を貰える存在だった。
ところで、飯野氏の近年の作品には、少なくとも
きみとぼくと立体。」と
ラブデリックの西健一氏との共作「Newtonica」があるのに
ほとんど知られていないようだし、
今回の訃報でも報じられないことに苛立つ。


実は、「きみとぼくと立体。」発売当時、このblogでそのことを触れたら、
飯野さん本人からリプライをもらったことがある。
http://d.hatena.ne.jp/juriano/20090327
感動した。
飯野さんは、以前何かで、ドラクエ発売日の行列してるところに
堀井裕二が出てきたらめっちゃ格好良いんじゃない?
と言っていて、そんなことを思い出した。
本当にサービス精神旺盛な人だったのだと思う。


飯野さんは、もう一度大衆の目に触れる
大きな夢を見させてくれると確信していた。
だからこそ今回の訃報が悪い夢のような気がしてならない。
恵比寿に行くたび、つい飯野さんいないかなと
きょろきょろしてしまう阿呆な僕ですが、
遂に一度も会うことができなかった。
これからも目で追ってしまうような気がしてならない。


人の何倍も濃く生きられた飯野さん。
強烈な個性で夢を見せてくれた、飯野さん。
心の兄貴のような存在でした。
安らかに眠ってください。


リンクを幾つか転載。
「ONE42」で飯野氏が生前書いたコラム「死んだらどうなるの」
http://one42.tumblr.com/post/17896450/4


坂元裕二氏が公開した飯野賢治企画監督による
リアルサウンド 風のリグレット」の脚本
http://blog.livedoor.jp/skmtyj/


平林久和氏のblog。「故・飯野賢治氏を偲ぶ」
http://hisakazuhirabayashi.blog95.fc2.com/blog-entry-1175.html


<追悼>SVアーカイブ飯野賢治 インタビュー
1999年1月号 Vol.277連載
「特集・ラブラブ・エレクトロン」より
http://studiovoice.jp/?p=35485


ゲームクリエイター飯野賢治が42歳で急逝:カレーや落書きの追憶
TEXT BY CHRIS KOHLER
TRANSLATION BY TAKU SATO/GALILEO
http://fb.me/2i96LCw6M


中村伊知哉氏のblog。「追悼、飯野賢治
http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2013/02/blog-post_25.html