友人の死に寄せて。

juriano2013-08-27

彼との縁は、僕が中1の頃休み時間にノートに漫画を描いていたら、
近づいてきて「やあ。僕も漫画描くんだよ」と話しかけてきたのが
始まりで、満賀道雄才野茂のような出会いだった。


僕は仲間が欲しかったので、彼を美術部に勧誘した。
油絵はほとんど描かず、部誌や回覧のノート漫画に血道を上げた。
放課後、ゲーセンによく通って、格ゲーをよくやった。
家でセガサターンをよくやった。
美術部の合宿で夏休みの宿題を写しつつ、
ゲームギアの「ぷよぷよ」をやりつつ、徹夜した。
一旦落ちると、キックをかましても彼は決して目覚めなかった。
夜中に抜け出して、コンビニに行き、オヤジ顔なのをいいことに
エロ本を買わせて、皆で読んだ。
愛されキャラの彼が磁力となって、美術部の面子は増えていった。


僕が高校を中退すると、間もなく彼も中退した。
行くところがないので、御徒町の彼の父親の事務所によく遊びに行った。
彼はいつでも気持ちよく付き合ってくれ、事務所近くの
変な焼き肉屋みたいなところで、安いお昼をよく食べた。
U田川の家で、しょっちゅう吐くまで夜通し呑んで、
やんちゃな自意識をぶつけあった。


美術部の仲間とクリエイティブな何かを継続したかったので、
ことあるごとに、ミニコミ誌やバンドなどの機会をつくった。
彼はいつでも触媒で、彼が参加するなら誰でも付いて来た。
僕らは僕らなりに、低次元であったかもしれないが、
中1の出会った瞬間からずっと漫画や創作でシノギを削ったのだ。


ある時、彼が起業したことを聞いた。
彼にそういう野心があることに驚き、水をあけられた気がした。
家から職場の秋葉原に自転車で通う時、彼の事務所を通るので
ああ、頑張っているのかなと思いつつ、邪魔をしてはいけないと思い、
結局事務所を訪れたのは一度きりだった。


一人、二人と結婚する仲間の晴れの席や、
仲間内の呑み会で顔を合わす席で、
どことなく様子がおかしい感じはしていた。
ある時、唐突に彼のココロが壊れてしまった。
そこから先は、坂を転がるようだった。
最後に会った彼は、やせこけて、蛭子能収の漫画のように
やたらと変な汗をかいて、昔の話ばかりしていた。
僕らはやれる限りのことはした。


彼はしかし、最後まで「漫画描きたい」と言っていた。
あしたのジョーカーロス・リベラのように、
パンチドランカーになっても勝負への妄執がくすぶっていた。
彼は結果を出さなかったかもしれない。
でも、可能性の塊だった。
そこを忘れないでほしいと思う。
冥福を祈りたい。