天嘉―参―【DANGER3】@武道館。

ラルクのソロバンドなどが結集、悶絶の10バンド出演ライブ。
まあ、俺が好んで観るような類のライブではないってことは
言わずもがなと思うが、正直言って苦痛でした。
一緒に行った洋美には大変申し訳ないことをしてしまったが
ステージ半ばで逃げ帰りました。
風邪が続いているというのもあるけど、やはり辛いという理由で。


好きとか嫌いとかいう次元のお話ではないのだ、生理的にきつい。
もっと言ってしまえば、ミュージシャンのはしくれとして、
認めれない、許せないという面もあるのだ。


音楽の自律性をどこに認めるべきかというと、やっぱり
作り手の持てる世界観、存在すべてを言葉なしに発信できる
というところに尽きると最近、考える。
ROCKにはBLUESがないといただけない、俺も同感だ。
それは、作り手がいかに自分の持てる世界に嘘をつかず、
しっかりと目を見開いているかどうかの差だと思う。
だから本来、ROCKだけじゃなく、あらゆるミュージック、
あらゆる表現はBLUESが欠けていたら嘘だ。
存在の掛かっていない表現なんて只のお遊びだぜ。
今日の出演バンド、少なくとも俺の観た限りでは、
いくら技術が優れていても高校生バンドに毛が生えた程度にしか
どれも見えなかった。
根源的なことを言えば、それはBLUESがないからなんでしょう。


ま、なんでこんなネチネチ書いてんのかってえと、つまりは
憤っているからであって。
連中の世界観は、とっても病んでるよね。
まあ、退廃美なんだから病んでて当然なんだけど、演奏してる
彼ら自身が病んでいるかといえば、全然病んでないわけで。
リクルートスーツ着て、今からでも就職できる人たちでしょう。
俺は、本当に病んでいるもしくは病んでいた人間として、
ふざけるな、この野郎と思う。
狙ったような毒々しいサウンドをやるバンドがいて、大いに
ウケていた。
人生に全く直面して生きていないような女の子たちが、
嬌声を上げて腰を振る。
これは、自我形成の途中段階の中坊がニルヴァーナ
聴きまくる心情とは全然意味合いが違うと思う。
そう、俺の言いたいのは、存在の掛かっていない音楽は
結局のところ、聴き手を現実逃避にしか向かわせないっていうこと。


俺はその点に強烈に憤りを覚える。
だって、こんなひどい音楽が、目の前でこんなにウケているわけよ。
何万人入ったのか知らないけど、俺は、その何万人の人生について
考えちゃったよ。
そのほとんどが女の子だろ?
何万人かの、未開発の、幸せになるべき人生が、こんなところで
腐ってしまっているわけよ。
言い過ぎかもしれないけど、俺はデカルトが好きだから、
あえてそう言い切りますよ。
ま、彼女たちが狂っているのか、俺が狂ってるのか判りませんが、
こういうバカげた音楽をやる連中を久々に許せないという、
正面切ってバッサリやってしまいたいという衝動に久々に駆られました。
高校生の時以来くらいに。
そういう意味では良い体験。
けど、クリスマスとしては、サイテー。