『御緩慢玉日記』1巻購入。

すごい。面白かった。
日記漫画とはいえ、これまでとは異質なんだね。
時間軸が戻ったり現在になったり、虚構の要素が濃くなった。
作家として一皮剥けたのでは、と勝手に思っている。


オイオイ玉吉どうしちまったんだよと思う人が大半かもしれないけど。
なまじ、文学部にいる身としては、自分の身辺をネタにする作品は
読み慣れているし、そういう感性が日本人特有のものであることも、
私小説の危うさも、それを相対化することの困難さもそれなりに
分かっている気になっているから、そういった観点で総括してすごいなと。
今までの身辺報告マンガのスタイルを捨てて、過去を描こうとしている
というのは、決してネタに詰まって無理矢理搾り出しているわけじゃなく、
作品に対する意識の変化の現れなんじゃないでしょうか。


そういう意味ではよりつげ義春寄りになってきたと思う。
ただ、つげがともすれば作家性という甘えと紙一重なのに対して
玉吉のは基本があくまでギャグだから、相対化する意味では強い。
これが本当の文学マンガだなんて言ったら、煙たがられるかな。
でも、画風であるとかネタであるとか、玉吉作品のそこかしこにある
パロディのセンスって、本当文学的なんだよなあ。
文学って何かと言えば、いわばパロディのオンパレードなわけでしょ。
古典のモチーフの再生、それが現代小説ではなくなっちまったから
現代文学三島由紀夫までって区別されるわけで。
その効果というのは、つまり作品にパロディを載せることで皆、
元ネタを辿るわけだ。
それによって古い作品が忘れられずに済むし、文化っていうのは
そうやって継承されてくわけだ。
そういう意味じゃ、中坊の時に玉吉さんの作品を読んでなかなか
貴重な辿りができたような気がすんのね。
だから、これはもうあえて文学的体験と断言したいw
なんでこんな暴論に行き着いたか分からないが、玉吉は文学だ!


トク子編って時期は、スクリーントーン貼り始めってことは
防衛漫玉の頃かなあ?
おっとりエロス、じわじわエロイね。
はっ、私エロっていうテーマも完全に自然主義文学じゃん、
「蒲団」じゃん、なんて、きりがないからやめよう。
そうか!卒論のテーマはこれか!
桜玉吉における文学空間』…嘘だけど。