サクタロ。

俺の担当するのは処女詩集『月に吠える』に収録されている
「干からびた犯罪」という詩だ。
しかし、詩の発表というのはやったことないので要領が分からない。
ついでに1時間の発表というのもよく分からない。
小説作品の発表ならそれなりに方法論もあるのだが、通用しない。
発表はとにかく理詰めでやった方が聞いていて飽きがこないと
思うのだが、その理詰めがなかなか厄介だ。
できるだけ客観性を保つ意味で参考文献からの引用をあちこちに
配置しつつやりたいものだが、その参考文献自体が、独自の理詰めを
それぞれやっているものだから、部分的に引用することができない。
作品自体は一連九行の大変に短いものなので、作品に沿いながら
論を発展させるのが難しいためだろう。


ただ、俺が思うにはそういう論文はこざかしいという気がする。
あくまで作品の自律性を尊重する作品論的な切り口を基礎にしないと、
作品自体が次第に腐っていってしまうように思う。
作品から遊離して「女性観」やら「家族観」やらを語るのもいいが、
考えようによっては昨今の研究の悪癖のように思えなくもない。
研究者が安易に自己実現をしたがるというか。
研究者が作家より自意識垂れ流してどうすんじゃボケという
思いもなくはない。
詩論は特にそれに陥っている節が強いような気がした。


まあどっか反骨の要素がないと燃えない性質なので、その対象が
見つかってちょっとよかった。
なるべく文化事象は見ないようにして、まず詩だけを眺めて
考察して、足りない部分はしぶしぶ朔太郎の身辺をさらって
説明する、みたいな内容にしたい。