日記。

2月に創刊したリトルマガジン「なんとなく、クリティック」が
山本精一特集だということを知り、慌てて購入。
雲を掴むかのような山本精一インタビュー、
それでも腑に落ちることが多々あった。
体当たり感も含めて貴重な取材だと思った。


山本精一はあれほどの精力的な活動をしていながら
最大の関心事は音楽ではない、と話す。
そして「情報オタク」である氏は
一日の多くを「調べ事」に費やしているというのだ。
それも、プロ野球やオリンピックのデータ分析であったり、
国際情勢や誰かの生い立ちであったりと、よくわからない。


また10年間のサラリーマン時代は、外回りの営業で
朝会社を出ると速攻帰宅し、一日中寝て、
夕方1時間くらい近場を寄ってから帰社する(!)という
生活をしていたそうな。絶句!


しかし氏は絵を描いたり写真を撮ったり
釣りをしたりその他諸々を、「広く浅く」でなく
すべて掘り下げて取り組んでいる。
「人の5倍くらい生きて、5倍くらいやればいいじゃないですか」という
氏は一日2時間くらいしか寝てないそうだ。


多少乱暴に言ってしまえば、
10の世界観しか持ってない人が全力で振り絞っても
それは10の表現でしかない。
「調べ事」やその他諸々によってインナー宇宙を増幅している氏は
例え音楽が最大の関心事でないとしても
100の世界観に対して、50でも60でも
アウトプットとしてはスゴイことになってしまう。
(無論、手加減なしに全力投球されている訳ですが)
我々はアウトプットだけ見て作品のあまりの振れ幅に
はてなマークがポコポコ出まくるけど、
それは分母のデカさゆえになせる業だと思う。
そして、一般に生きている我々は
その分母を拡げる努力を軽視しているような気がする。
それは例えばスポーツのデータ分析であったり、
一見とてつもなく無意味だからだ。


そして、俺は今そういう人間に惹かれているのだと思った。
先日亡くなった飯野賢治氏にしても、
個人的には実作よりも本人の巨大なポテンシャルに関心があったし、
やはり氏も世界観を拡げることに注力していた人だと思う。
だからこそ、早すぎる死が腑に落ちなかった。
いくら分母を拡げたって、死んだら元も子もないじゃないか、と。
そんなようなことを取り留めなく考えた。