201403湯宿温泉旅行記〜初日。

 3月21日(金)7時半に起きるつもりが1時間寝坊。速攻で準備をして9時前には出て日比谷線で上野に出る。天気は快晴。しかし昨日夜から喉が腫れ、若干ダルい。
 9時42分発高崎線前橋行、無事に角の席を確保。車内は意外と混んでいたが、熊谷を過ぎた辺りで空いてきた。車中では持参した唯一の本である塚田努「だから山谷はやめられねえ」を読んだりしていたが、体調が悪いので半分は寝ていた。
 11時41分高崎着。3連休の頭のせいか、若い女子の姿が目立つ。高崎の女子は何か素朴な感じで可愛い。西口を出て喫煙所で一服。晴天ながら、風が異常に強い。割と拓けた街だが、道幅が広く歩いていて清々しい。
 とりあえずお昼を食べるべく、事前に調べておいた一二三食堂へと向かう。地元の人にも人気の昔ながらの食堂だが、注文してから待たされると聞いていたので、混む前に行きたい所存。細い路地を入るとほどなく見つかった。テーブルと座敷が半々の昭和感溢れる店内、先客は2名。ソースカツ丼780円也を注文。置いてあったビッグコミックを興味のある振りをして読む。案じていたほど待たされずに出てきた。

 大きいロースカツが三枚、甘いタレがかかっているがしつこくなく、あっさりと食べられた。ナメコの味噌汁に冷や奴、おしんこがつく上に珈琲(牛乳と選べる)までついているので、お得感が高い。地元のおっさんたちが「今日は風が強いね」と言い合っている。
 食べ終わるとやや回復し、歩いていくとすぐに一応目的地としてきた高崎城跡があった。

 復元された櫓の手前には杏の花が咲いており綺麗だが、スケールはいかにも小さく、一通り写真を撮り、ものの5分で気が済んでしまった。
 未だ12時半であり、14時38分の電車までかなり時間がある。折角なのでフラフラ徘徊しながら高崎市美術館を目指す。街はひっそりとしており、夏のような巨大な雲が出ているが、風はひたすら強く、寒い。がらんとして、ちらほらとスナック等が点在する街の感じは、今まで訪れた地方都市とよく似ている。どうしてこうも近い雰囲気になるのか不思議だ。
 高崎市美術館、やや迷ったが到着。

 高崎市出身の画家、石澤久夫の企画展をやっていた。月や妖精などの形象によって自然との語らいを描き続ける画家。レイヤーを重ねたような抽象的な表現が面白いと感じたが、本人はモチーフを抽象化したいのでなく、単純化したいのだとのこと。単純化したいというのは、無駄な贅肉をそぎ落として本質をあぶり出したいということだろう。しかし、今自分がこだわっているのはリアリズムなので、本質を直視しようとする表現がいまいちスッと入ってこなかった。リアリズムは現実の「無意味さ」を直視することなので、石澤氏の表現はロマン的過ぎて違和感があった。「森の妖精の詩」という作品は現実と虚構がゆらいでいて良かった。
 展示室は3階まで2室ずつあり、時間を気にしつつも全部観て、隣接している旧井上房一郎邸にも行った。途中、休憩所を通るのだが談笑していたお婆さんに「ようこそお越し下さいました」と言われた。もしかして画家の家族なのかもしれない。

 井上房一郎邸は鋏状トラス(柱や登り梁を二つ割の丸太で挟み込む構造)や杉材縦板張りの外装等が特徴の木造建築だが、俺の専門範囲である左官の見所は少ないので、さっと見て辞去した。常駐しているお姉さんが「今日は風が強いですね。またいつでも来て下さい」と爽やかに言ってくれた。
 時間的にそろそろ駅に引き返そうと思い、歩いてみたらすぐに駅に出てしまった。駅前にはVIVREや巨大なアニメイトなどがあり、若い女子率がなぜか高い。東京の女の子より素敵に見えるのはなぜだろう。ペンのインクが切れかかっていたのでDaisoに行き、ついでにポケットティッシュを買う。普通のが見つからず、無駄にファンシーな柄なのを選んでしまった。
 ホームには大分早く着いてしまい、待合室で本を読んで待つ。14時38分上越線水上行に乗る。座れたので、引き続き「だから山谷はやめられねえ」を熱中して読む。
 ふと沼田辺りで窓を見ると、目を疑った。先ほどまで青空だったのが、猛烈に雪が降っているのだ。向かいに座っていた地元系野球少年が、あからさまに「デーム」といったリアクションを一人でしているので笑える。
 持参していた折りたたみ傘をスタンバイし、15時30分後閑駅で下車。

 雪はひどいが、不思議と寒くはなかった。ここからバスへの乗り継ぎが5分しかないので神経が張ったが、バス停は目の前である。屋根もない場所で傘をさして待っていると、間もなく猿ヶ京行きのバスがやってきた。地元のオッサンの他、妙齢の旅女子2人もいた。
 この辺りは早い時間から降っていたのだろう、すっかり雪化粧しており、またいかにも積もりそうなぼた雪が降りしきっていた。車中ではひたすら車窓から写真を撮る。途中、新幹線の通っている上毛高原駅にも停まったが、さほど大勢乗ってはこなかった。
 気がつくと目的地の湯宿温泉が既に近い。焦って「湯宿温泉下」というところで降車ボタンを押し、降りようとすると車掌が機転を利かせてくれて、「泊まりだったらこの次のほうが近いよ。どこ行くの」と聞くので、大滝屋である旨伝える。次の「湯宿温泉」で660円也をつっこむと、「アレ、次のほうがいいような気もするけど・・・場所わかる?」と言われ、勢いで「あっハイ」と間抜けに応え、降りてしまった。
 16時3分湯宿温泉着。バスを降りるといよいよ悪天候だが、雪でモノクロームと化した赤谷川の光景はいかにもつげ義春の世界で、舞台装置としては申し分なかった。

 「大滝屋旅館この先150m右側」と巨大な看板が出ていたので安心した。大滝屋に至る路地をいかにも細く判りにくいが、かえってテンションが上がる。勾配のあるY字路はいかにも異界の入り口といった様相を呈しており、つげ漫画で観たことがあるようなデジャブを感じた。

 そこを左に折れると、かつての大滝屋の面影を留めた土蔵と、その一階部に当たる朽ちかけた木造が出現し、感動した。
 現在の旅館は隣接する接骨院と併設の綺麗な建物だ。戸を開けて中に入ると誰もいない。

 「ごめん下さい」と声を掛けるとお姉さんが出てきたので記帳をする。「こんな天気になっちゃいましたね」と言うので、「高崎は嘘みたいに青空でしたよ」と教えると、「ああ、下(しも)のほうは晴れていたんですね」と言う。応対はあまり慣れていないのか、たどたどしいが努めて丁寧に説明しようという気持ちが伝わってきて好感を持った。お風呂は1階にあり、左が混浴(男性用)、右が女湯で、入浴は24時間可能ということだった。通されたのは2階の「どんぐりの間」。8畳の広々とした和室だ。

 「寒くてすいません」と言いながらファンヒーターとコタツの電源を入れてくれた。食事は部屋出しで、18時前後に持ってきますとのこと。お酒の自販機がないとのことで、つい反射的にビールを頼んでしまう。
 一息ついて荷物を解く。一服して浴衣に着替えると、ノックがあり仲居のお婆さんが入ってきて少し驚くも、「お布団先に敷いてしまいましょう」とてきぱき敷いてくれる。天気の話を振ってくるので、こちらもバカの一つ覚えのように先ほどの台詞を繰り返すと、「水上は朝から降っていたんですよ。本降りになっちゃってね。そうですか、お客さんは高崎から来たんですか」と言うので、本当は東京なのだが、物好きと思われるのも面倒なので「高崎から来た客」で通す。
 お婆さんがファンヒーターがついていないのを見て、「あれ、消しちゃったの」と聞いてくる。何もいじっていないと伝えると、再度電源を入れて「部屋が冷えすぎているから。そのうち点くと思うよ」と言われた。結果的にこのヒーターは一貫して調子が悪く、宿泊している間ずっと格闘させられた。しばらくすると勝手に止まってしまう上に、その際結構な音量の電子音で不具合を訴え、その都度電源を入れ直さないといけないので辟易した。
 とりあえず食事前に一風呂入ろうと思い、備え付けのタオルを提げて入る。先客は一名いたが、ほどなく上がったので独占状態。

 大滝屋の湯は、湯宿温泉で唯一硫酸塩泉と炭酸水素塩泉の混合泉である。無色透明のやわらかい湯質。湯宿温泉の主な泉質は硫酸塩泉で、源泉の温度は60℃以上と高温なのが特徴だが、これに炭酸水素塩泉(大滝源泉)をタンクで混合することで浴槽内の温度を41〜2℃程度に調整している。従って長時間浸かっていられるという訳だ。そうは言っても流石にのぼせてくるので、独りなのを良いことに窓を少し開けてみると、外は雪景色。冷気が心地よく、にわかに露天風呂の気分を味わえた。写真も撮って退却する。
 それでも17時ちょっと過ぎで、夕飯まで時間があるので旅のメモなどつけ出すと、素晴らしく捗る。実際無駄なものが一切ないので思索にはうってつけの環境だと思う。
 そうこうしているうちにお婆さんがお茶の替えと釜飯、鍋物を運んできてくれる。「火を点けたら20分は蓋を開けちゃだめ。中を見るなら今のうちだよ」と言うのでサッと蓋を開け、「お〜」とリアクションする。何が「お〜」なんだかよく分からない。膳が来ないうちは火を点けるのは早いということで、大人しく待つ。「お兄さんは若いから大丈夫だと思うけど、ここの料理は多いから年寄りは残してしまうんだ」と言うので、望むところだと思った。
 地鶏の照り焼きやトンカツ等揚げ物、刺身、茶碗蒸し、煮物、酢の物等満載で、確かに凄い量。

 しかし出されたものは完食するのが信条なので、ビールを手酌しつつ一品ずつ片づけていく。料理は全般的に美味だ。
 流石に無音は寂しいのでテレビを点けると、「所さんの世界のビックリ村3時間半スペシャル」がやっていたのでつい見入ってしまう。現実に対する認識だとか既成概念を覆す意味でドキュメンタリーの中には優れたリアリズムを体現した作品があるので(取材側の態度次第だが)意識的によく見るようにしている。特に最近読んだ中で国分拓氏の「ヤノマミ」は衝撃的だったが、あれも現代人の感覚では倫理的に際どい風習(生まれたての赤ん坊の間引きなど)を非難するのでなくありのままに直視し、ただ戦慄するといった取材班の真摯な態度こそ素晴らしいのであって、型にはめたり、意味付けした時点で価値を失うと思う。まさにそのヤノマミ族が表層だけ紹介されていたので、釜飯食いながら色々考えてしまった。
 「食べ終わったらフロントに電話して下さい」と言っていたお婆さんが様子を見に来たので、余程モタモタ食べていたのだろう。お婆さんお勧めの地鶏が美味かったと伝えると、嬉しそうに「よかったよかった」と言うので癒された。
 引き続きビールを呑みながら漠とテレビを眺めていると、21時半になっていたのでそろそろ空いた頃だと思って風呂に行ってみる。すると先客が2名いたので、休憩スペースで煙草を吹かして待つも出てくる気配はなく、諦めて入浴する。戸を開けると「こんばんわー」と挨拶され「こんばんわー」と鸚鵡返し。高齢の老人と中年男性。老人は湯船で歯磨きしており、すごい音を立てて痰を切っているので、うおーと思うも心頭滅却。歯磨き終了後は手すりに掴まって湯の中でストレッチを開始する。ご丁寧に「イチ、ニー、サン、シ」のかけ声付きだ。一気に湯治場を実感する。「暖まってから上がろうかな!」と言い放ち、ゆっくり50まで声を出して数えた後、「上がります」と宣言するので「どうぞ」と言うと中年男性も一緒に上がるのだった。付き添い人だったのだろうか。一人になったのでまた窓を開けて風に当たる。上がると、老人がまだ呻き声を上げながら着替えていたので、「お先に。お休みなさい」と言って上がる。風呂上がりに缶のイチゴミルク120円也を購入し、煙草吸いながら飲む。
 部屋に戻り旅のメモをつける。書き物が実に捗る。ひたすらポットのお湯でお茶をつくり飲む。気がつくと0時半になっており、歯を磨くべく階下に降りるも、風呂に誰もいなかったので勢いでもう一度浸かる。女湯も明かりは消えており、完全に俺しかいない。この状況で女湯に若い女子一人来たら大分エロイなと妄想し、「やなぎ屋主人」を想起する。実際には女子の姿など一度も見かけなかったのだが(子連れはいた)。そういえば、受付の女性と仲居のお婆さんの組み合わせは案外「ゲンセンカン主人」を彷彿とするじゃないかと思い、浸る。
 喫煙スペースで一服した後、歯磨きをして引き上げる。部屋自体は件の壊れたファンヒーターのお陰であまり暖かくないのだが、布団はかなりぶ厚く、またお婆さんが湯たんぽを仕込んでくれていたので、特に苦はなかった。GR4と携帯のバッテリーを充電して寝る。