『下弦の月』。

そういえば彼女に観させられましたよ。
なかなかしんどかったです。
主に客層なんだけど。
似たような感じの自己主張をした中学生の女の子
(わかりにくい?)でうじゃってるという感じで。
池袋シネリーブルに行ったけど、『恋の門』も
併映していたから、絶対俺そっち観に来た客だと
思われたんだろうな。


映画自体は、少女の願望が凝縮されたような内容で、
なかなか微笑ましかったのではないでしょうか。
ただ、やるんだったらとことん世界観を
煮詰めてくれないと。
幻想はひとつでも破綻をきたしたら冷めますよ。
中学生の女の子なら騙せるんだろうけど、
それなりに数を見ているお兄さんとしては、
これじゃちょっと納得できない。


女の子が楽しめるならいいジャンと言えばそれまでだけど
ターゲットを絞るというのは特定のファンに甘える
ということで、作り手の姿勢としてやっぱり
健全じゃないでしょう。
女の子をターゲットにした漫画・音楽・映画その他に
感じる懐疑の理由はみんなコレ。
女の子は騙しやすいからねえ。
ちょっと琴線に触れることをやってしまえば
コロッといくからって、やっていいもんなのか。


これは最近の創作物全般において言えると思うけど、
幻想の度合いがどんどんチープになっている気がする。
ある意味では、観る側の趣味がどんどん悪くなっている
せいかもしれない。
普段テレビドラマを見慣れていれば何とも思わないかも
しれないけど、こういうロマンチックな話にいきなり
携帯とかパソコンとか出てくるとぶち壊しなんじゃない?
それ自体を主題にするならいいけど、片や洋館とか、
ゴシックめいた服装とか出てきてるわけで、
正直冷めてしまいます。


HYDE演ずるアダムは「20年前のロンドンのインディー・アーティスト」
ということになっているわけだけど、どうなんだいコレ??
音楽に暗い中学生の女の子は「へえ〜」って意味もなく
納得するんだろうが、ちゃんちゃらおかし。
それって当たってるかどうかもわからないワインの銘柄
並べてバカな女の子を感心させる安ったい男と
同じじゃん!
ホスト映画か!これは!悲しい位言い得て妙だよ!


しかも、アダムの正体を知るために行う手段は
「CDショップの兄ちゃんに聞く」というあんまりなやり方。
挙句「プロモーションビデオを見る」という、これもあんまり。
プロモなんて当時ビートルズがようやく始めたばっかなのに
超マイナーなはずのアーティストがなぜにそんなん作れたか
というツッコミはさておいても、
擬似プライベート映像がやっぱりちゃんちゃらおかし。
あからさまにジョン&ヨーコな感じに振舞うHYDE氏とヒロイン。
んでそれを見ている元彼氏が一言。
「ジョンとヨーコみてーだな」
俺はこのシーンで笑いを必死でこらえていたけど、
周囲で笑ってる女子は一人もいないので必死にかみ殺す。


他にも映像がかっちょ悪いCGの使い方をしていたり、
(レイヤーを被せるのはいいけど元の水面の映像が
見えちゃってちゃ萎えますよ)
とまあ、このような形で幻想が破綻してしまうのです。


散々言いはしたけど、正直に言うと俺もこういう
少女趣味的素養が決してないわけではないのだ。
「館」が出てくるんですが、ちょっとこの使い方は
しびれたね。
前に住んでいた家族の情念が支配していて、
ありがちなのかもしれないけど、閉鎖した空間に宿る
情念のようなものに弱いです。
あと伏線がほんと嫌味な風に貼ってあって、どう
嫌味なのかといえば、やはり泣かせる方向に
持ってくるんですよ。
ダメだ、俺はこんなの認めない!泣いてやるものか!
と踏ん張っておりました。(バカ)
人生も恋愛もそんなに甘いもんじゃないだろ〜と
思いつつも、観た後の感じは割合すっきりしていて、
何だかんだと『恋の門』とかよりよく出来ていたんでは、
と思ってしまった。