シュルレアリスム。

夢と文学の講義でやりました。
アンドレ・ブルトンのいわゆるシュルレアリスム
客観を無視して主観を貫くことというイメージがあったんだけど
逆に強烈に客観的だということを知り目から鱗
すごいですよ、狂気の国に行ってますよ。
自分が今何かを考えているというのは自分が考えているわけではなくて
他の誰かが俺に考えさせている、という境地。霊媒師みたいな。
でも俺自身曲を書いたりする際、そういうイメージというのはあり、
すでにある曲を俺が修復している感じというのは昔から強く感じる。


シュルレアリスムというのはちゃんとした手法があって、
自動記述というやりかたをするんです。
紙のうえに、理性のフィルターを通さずに字をガンガン羅列していく。
その際、速度が重要。極限まで早くしたり、緩くしたりする。
その内、一人称主語が抜けてきて、客観になってきて、
主語が消えて、動詞が活用しなくなり、さらに動詞も抜けて、
しまいには物、オブジェだけが残る。
これをやっていると最終的には幻覚が見えてくるようで、
そこまで実行してしまうブルトンのおバカ具合もすごいもんがあるんだが。


彼はフロイトの影響を強く受けていて、彼の夢と現実の調和による
人間精神の解放というテーマはフロイトユング精神分析にも
通底していたところだし、20世紀的な考えの総括というか、
意識的に打ち出しているところにとても共感できましたね。
でも、やっぱり精神の自由といっても理性と言う秩序があってこそ
初めて有効に機能するんであって、糸の切れた先は狂気以外の
何物でもないんではないか。
夢と現実の接近は志向としてはどうあっても自我の破壊という
要素を孕んでいるんだと思うのだよね。
ただ、いずれも欠いてはいけないというのは確かで、
人間精神の発達にはその相互作用が重要なはず。
とすれば、シュルレアリスムは言ってみれば科学万能主義に対する
極北なわけで、これもまた理性尊重主義の表裏一体、
あんまりよろしくない思想に思えるわけだよね。
狂人が偉いだなんて、甘ったれた思想だと思うんだけどな。
どうだろう。