4日〜7日迄のこと。

日にちの感覚が完全になくなったので、整理がてら書く。


少々話題が遅くなるが、4日に本八幡で市川同窓会チックな
新年会をやってきた。
メンツは、池田と小柴と安藤と、あと北大に行っていて
正月だけこっちに帰ってくる牧口。
ボーリングをして、焼肉屋でガツガツ喰って飲み、なんか小洒落た
茶店にノリで入ってアイリッシュ・コーヒーを飲み、
さらに酔いがまだ残った状態で卓球やって…と何だか贅沢に過ごした。
俺以外は皆理系で、慶応やら理科大やらで、半導体とか研究していて、
なんだかんだとエキスパートだ。
それに比べて自分のやっていることのみみっちさったら。
皆同じ教室でバカをやりながら勉強していたんだけどねえ。
年を食った感じです。


心地よい疲労と酔いを引きずって帰途につく。
5日はうちの病院の仕事始めなのだが、スタッフ入れ替えのため
明日は新米の洋美しか助手がおらず、どうにもならないので
俺に手伝いに来いという話がきていたのだった。


しかし俺はそもそも4日の新年会もほぼ半分逃避気味に
出席したのであり、つまり7日朝に三宝絵ゼミの発表(手付かず)
があり、これは二年次のゼミの再履修であって落とすわけにいかないのに
これをやらないと落ちる=早い話、修羅場なのだ。


なぜこの時点で手付かずか。
怠慢だけではない。図書館が空いていないのである。
このゼミは古典なので、本当に史料がないと身動きがとれない。
そして、図書館が空くのは5日から。
つまり5日と6日だけで仕上げなければならない。
この状況で冷静に考えて病院手伝いに行くわけありませんな。
どっこい、私は手伝いに行った。
午前だけ。半ば諦めつつ。


午後二時半に大学図書館に着くと、全く同じ状況の
O下の顔面が蒼白だった。
煙草吸って、ごそごそと作業に移る。
すると閉館の放送。なんと今日は5時で閉館。


途方に暮れつつ、O下連れて家へ行く。
着いたはいいが、俺はなぜかおもむろにギターを手に取り
ツェッペリンの「Lemon Song」を弾きだした。
呆れつつ茫然とするO下に俺は
「いやこの前茶水の楽器屋街で楽譜大量放出してて嬉しくてさ〜、
ブランキーのベストと迷ったけど結局『Ⅱ』のスコア買ってきちゃった。
見て見てほらベース!この曲のベースすごいんだよ〜」
とまくしたて、アコギをベースの代わりにし、恐るべきことに
流れでそのままセッションが始まった。


我に還ると時刻はすでに午後10時。
途方に暮れながら、写し作業のところだけ書いて、解散。


6日は図書館開館時刻に待ち合わせたが、あろうことか
俺は寝坊し、12時に着いた。
この時点できっともう間に合わないと踏んで、俺は
別のゼミの史料も持参していた。
しかしこの時のO下は大変気迫を放っており、
俺もそれに付き合い、やるだけやってみようという気になる。


そこから、次の日の朝7時までが大変地獄でした。
図書館閉館の8時までフルでやり、大学向かいのファミレスに
移り午後11時まで粘り、解散、家へ着き、風呂入りそのまま
朝7時までガーッとやり、タイムリミットぎりぎりでようやく終る。


そのまま朝霞校舎まで1時間半かけて向かい、着いたら着いたでなんと、
今日は印刷機がつかえないという恐ろしい事実を知る。
仕方なくコンビニのコピー機
原稿6枚×40人分の240枚、2400円の支出。トホホ。


そして発表。本番は、問題なくこなす。
実際教室には20人も着ておらず、残った紙はその場で全て捨て去った。


終わり、ナチュラルハイのO下はなんと映画でも観ようと抜かす。
勘弁しろよとも思ったが、もうとことん付き合う気でぴあを見る。
しかし良いのがやってなく、どうしよ?と池袋で考え、
じゃ突発でスタジオに入ろうということにする。
スタジオペンタ池袋に電話。
空いているらしい。初めて予約なしでスタジオ行く。
セッション1時間。ギターはギブソンレスポールを借りる。
のりセッション、それなりに楽しくやれてよかった。


帰って、爆睡。
いつも思うことだけど、こういう無茶はもう懲り懲りですホント。