最近のこと。

企業のホームページを見て回ったり、エントリーをしたり、
強迫観念を唯一の動機にして、夜な夜な蠢いていたが、
精神的には大変オチており、昼夜は完全に逆転、
一日中太陽を浴びない。
それがまた、一層ココロに悪い作用をする悪循環。


これでは駄目だと思った。
私のような駄目人間は、太陽光線の有り難味をよく知っている。
まず、太陽を浴びないと眠くならない。
なおかつ、一旦寝出すと際限なく寝てしまう。
まともな眠りのサイクルを持っていないと、実質上行動時間が
短くなってしまうし、一日の達成感が得られないことから
精神的にもどんどんオチてくる。
だから、まず健康的なライフサイクル。


次に、部屋。
前回CDを売りに行ったのもその一環だけど、部屋が
物に溢れていてひどい。
色んな人の部屋に行って思うけど、部屋というのは、ちゃんと
そこに住んでいる人を表しているよね。鏡になっている。
きちんと整頓された部屋に住んでいる人は、やっぱり筋の通った
考え方を持っているし、物の出し入れが頻繁で、
どんどん新しいものを取り入れて、不要と思ったらどんどん
捨てている部屋の住人は、やっぱり流行に敏感な人だしね。


自分の部屋はどうかというと、まず個々のアイテムだけを眺めると、
なかなか面白いモノがあったりする。
でもそれらが、ことごとく体系になっておらず、支離滅裂に
配置されている。
焦りに任せて究極的な答えばっかり欲しがって、それに至るまでの
道筋を外していると、多分こうなる。
人間、偏執か分裂かどちらかの傾向を持っていると思うけど、
自分の場合、やっぱり分裂しているんだろうなあ。
昨日考えていたことが、一旦寝て目ざめるととても馬鹿げて思える。
恐らく、その連続がこの空間を形作ったのだろう。


しかもタチの悪いことには、分裂している割に、どれもいつかは
必要になるんじゃないかと思うから、捨てられない。
これは単に、貧乏性ということじゃないかと思う。
一旦、「どうでもいい」となってしまった考えを、でも
「もったいない」から捨てないでいると、結局どうなるか。
多分、腐る。
自分の足元が腐ってしまうから、結局何も考えられず、何も言えず、
自分の思考がよく分からないという、破綻した人間が出来上がる。
そんな賞味期限の切れた考えは、アイテムは、積極的に捨てないと駄目。
必要を感じたら、その時にまた買えばいい。
捨てたモノを買い戻すなんて、バカみたいに思うかもしれないけど、
それを「必要」だと思えたということは、それ自体がそいつにとって
かけがえない財産だし、人間的に成長できたという証だ。
それにいくらお金をかけたって惜しくない。


そういう考えにようやく到って、自分の課題は、
貧乏性を克服することだとはっきりした。
だから、今部屋を大掃除して、要らないモノを選り分けて、
要るモノはちゃんと体系化するようにして、という作業をしている。
結構、自分探しになる。びんびんきます。


というわけで、最近勤しんでいるのは、健康な生活をして
お日様を浴びるのと、自分のお部屋を片付けること。
あれ、何だか恐ろしく呑気な暇野郎という気がしますね。
冗談じゃない。必死です。