一週間が終わった。/家出ノススメ

週報と化しつつある日記。(?)
今週はそんなに締まりませんでした。
兎にも角にもエライ。


さて、先週末は寺山修司『家出ノススメ』(角川文庫)を衝動買いし
今週大変面白く読みました。
実は、寺山さんの本は浪人時代に一度手を出して、あまり好みに合わず
読まずにいました。
サブカルのアイドルという印象から忌避していたのやもしれません。
ヴェルヴェッツをあえて避けて通りたいとかそういう感情。
その発想自体裏返って最も俗と言えますが自意識過剰真っ盛りであった
当時、それに気づけなかったのかもしれません。


短いエッセイの羅列であり、話題もマルキ・ド・サドの話から
サザエさんの性生活に至るまで盛り沢山ですが、
素晴らしいと思ったのはそれら全てをひっくるめて、
自分のことしか語っていないところです。


卒論で「優れた発想は論理の飛躍が生み出す」という
一文を引きました。(出典は忘れました)
人間誰しも、これだけは譲れない、これだけはこだわってしまうという
キーワードを持っている。
安吾の「ふるさと」、フロイトの「幼児期」等々。
それが出てくると、論理が飛躍する。
まあ欧米人に言わせると日本人は特にこれが顕著らしいですが。
だが実はこれが優れた発想の源泉であって、論理の球体を
堂堂巡りするしかなかったところを突き破り、
ラディカルな結論を導き出す。
寺山の場合は非常に分かり易く「家」ということであって、
日本の農村社会において無意識に刷り込まれている
家族制度の支配的なあり方に対する恐怖ということに
なると思います。
優れた詩人の条件というのは恐らくこのキーワードをいかに
多く持てるかということだと思っています。
散文は歩行で、詩は舞踏であるという言葉通り
詩に論理は必要なく、ひたすらラディカルな問いかけあるのみ。


このエッセイ集で一番よかったのは、
「わたしは一体、何を持っているだろうか!」という件。
「自分の好きなときに好きなようにできる」ということが
「所有している」ということだとすれば、
考えようによれば空も東京の街も自分の所有物であると。
そして「家」の外にいかに多くのものを持てるかが、
詩人としての価値を決めるというそんな素敵な内容でした。
家中に散乱するCDや本を全て焼き払いたい衝動に駆られました。