びじゅ通archive projectの件。

juriano2012-06-07

びじゅ通=美術部通信とは、
中1の時に有志部員で始めた回覧ノート漫画である。
前期6冊、後期14冊+バインダー2冊あり
その約半数が現存している。
試験前や授業中に専ら書き進められたソレは
地方の男子校生の抑圧されたパッション、リビドー、中2病等を
容赦なく投影し、それに関わった者にとって
看過することのできない青春の黒い1ページなのである。


経緯について詳細は省くが、
要はノートによっては大破寸前の代物も多く、
また誰がどの号を所有しているかも判然とせず、
紛失している号も多いため、
いまのうちに残っている号を集めて電子化し
共有しようじゃないかというのが標記プロジェクトの概要。


作業自体は紙媒体電子化施設に2回通うことで速攻済んだ。
その辺りのことは形を変えてまた報告したい。


今回の作業に携わったことで、自分としては
結果的に色々な面で足元を見つめ直している。
このタイミングでこういったことが動き始めたことの
意味は正直測りかねているが、
これは必要なことのような気がする。


オレは実を言うと小学校の頃にこの回覧ノート漫画を
既に編み出していた。
それは自分がなるべく輪の中心でいるための手段であり
コミュニケーションをとるためのメディアだったような気がする。
この回覧漫画は軌道に乗せるまでが非常に難しくて、
びじゅ通の前身で頓挫したものも幾つかあった。


どーにかこーにか軌道に乗り、高校から新しい面子も加わったが
オレは高校2年の秋で中退したので、その後基本的に離脱した。
当然主導権はもうないので、いつの間にか知らない奴も増え、
右開きにルールが変わり、いつしかそれはノートでなく
バインダーになっていた。
自分の手を遠く離れたところで漠然と裏切られた気分を抱えつつ、
バインダーになったので入稿できることになり、
頼まれて描いていたのが下記リンクの日記漫画。
(恐らく2000年夏〜秋)
https://www.dropbox.com/sh/uaps9mgfa8v8dpe/FDgS6Niwgz


描いたことすら全く覚えていなかったので
自分でかなり面白かった。
裏切りに対する怒りやら毒気をもって描いた
その時の気分を思い出した。


これに関わった人間は現在概ね三十路前後であって、
今回のコレが只のノスタルジーで終わるのなら
本当に屑だなと思う。
何か得るものがあって次に繋がっていくことじゃないと
まったく意味はない。
しかしここから何が立ち上がってくるのか?
それはまだよくわからない。