夭折の鬼才「飯野賢治を学ぶ。」第2回@iid。

夭折の鬼才「飯野賢治を学ぶ。」第2回@iid参加してきた。
詳細はまた書きたいけど、面白かった。行って良かった。


会場の世田谷ものづくり学校も初めて行ったけどおもろい。
統廃合になった世田谷区立池尻中学校の校舎を
ワーキングスペースとして再利用している。
いわゆるコンバージョンの事例。
今回の会場も家庭科室だった空間で、
白く塗った壁に直接プロジェクターで投影していた。


俺などは一介のファンに過ぎないが、
参加者はやはりクリエイターやその卵的な人が
多かったのだろうか?
大ファンである飯田和敏氏や西健一氏のトーク
生で聴けて満足。


アーカイブ映像ももちろん面白かったが、
色々とハッとするトピックがあった。
・かつてミサイルの弾道計算をする軍事目的で利用されていた
コンピュータを個人の手に取り戻す意味で、
ゲームをつくるのはかつてヒップなことだった。
・バンドをやってモテたいという動機と同じように
ゲームをつくってモテたいというモチベーションに
つながる時代の空気感があった。
・飯野氏、飯田氏、西氏のゲームの共通項は
無言劇であること。
メッセージ性が強い反面、それをテキストで
表現しない。その分音楽に比重が大きい。
など。


俺は別にゲームの作り手に回ろうという訳でなし、
セミナーの参加動機がモヤモヤしてるんだけど
結局は飯野氏の死が腑に落ちていないのだと思う。
遺された作品以上に飯野氏自身がポテンシャルの塊であって、
感化された自分としてはそれをすくい上げたいし、
間違ったパブリックイメージがそのまま焼き付いてしまうのも
気に入らない。(この辺はブン屋根性?)
やっぱり追悼本は必要じゃないだろか。
このセミナーの講義録も残ればいいんだけど。


それより何より、去年暮れにニルヴァーナ
ポールマッカートニー御大をギターボーカルに据えて
一夜限りの再結成をしてたことを全く知らなかったのが
今日の一番の衝撃だったりして。