東北旅行記2日目。〜恐山−遠野篇〜

■恐山の朝

 8月12日(月)午前5時前に起きる。エアコンをつけっぱなしで寝てしまい、身体が冷えておりやや失敗。5時半に起きると言っていた吉井氏を起こすか迷うも(朝風呂が6時迄)、まーいっかと思い、起きぬけのまま内湯へ。
 朝日は昇ったばかりで、ギラギラと輝いており、カメラを持たなかったことを少しく後悔。内湯には先客が2名ほどいた。
 とりあえずザンブと湯に浸かると、身体が一気に解凍される。通算4回入浴した計算になるので、元は取れたかな、と貧乏臭いことを思う。
 風呂で一緒になったのは、ツーリングで来たと思しきヤンチャ感のある同年代か少し下くらいの二人組であった。決して年寄りばかり集まるような場所でもないようだ。
 上がって髪を乾かしていると、吉井氏が入ってきた。ひと足先に抜けて、ロビーで一服していると、掃除のおばさんが「おはようございます」と声を掛けてくれるので挨拶する。
 「何も出ませんでした?」と言うので、一瞬固まるも、「いや、全く見ませんでしたが」と応じると、「そうですか。日頃の行いが良いのね、ホホホ」と笑う。やはり、見る人は見る場所なのだろう。霊感というものをまるで持ち合わせていないらしいのだが、今回恐山に導かれたのは、何らかの暗示を感じている。
 吉井氏を迎えに行き、朝のお勤めまで時間がまだあるので、朝の散歩に出掛けることにする。既に朝一番の参拝客(宿泊客ではない)が来ていることに驚くが、境内の朝の空気を吸いながら、此処がいかに俗世から隔離され、守られた贅沢な空間であるかを実感する。
 吉井氏は昨日、給仕のおばさんに2泊している一人客がいることを聞かされ、「こんな何もない所にねえ・・・」と言っていたそうだが、今ならその気持ちも十分に理解できる。
 そう言えば、我々は地獄巡りには熱心だったが、肝心の本堂やご本尊の位置を正しく把握していなかった。散策ついでに各施設の場所などを確認する。

■朝のお勤め

 朝のお勤めの時間が近づいたらしく、集合場所である本尊安置地蔵殿(祈願祈祷の道場)に宿泊客が移動しているのが見えた。我々もそのまま付いていくことにする。通常、祈祷を頼まないと入れない渡り廊下を通れるのが妙に嬉しい。
 ご本尊の前の区切られた空間に座して待つ。我々の前方には老いた母と娘がおり、「同じ夢ばかり見るのよ」とオカルティックなことを話していた。
 ほどなくしてご住職が現れ、「読経中は、皆さんの願い事をお願いして下さい」と言われる。ここでの祈祷は死者の供養とは違うもののようだ。「足は楽にしていて下さい」と気づかってくれたのが印象的だった。
 読経は、お坊さん二人のユニゾンなのだが、これまで聴いた中で間違いなく一番迫力があった。太鼓を打つBPMは次第に加速していき、最終的にはかなりの速さになる。太鼓の合間に鳴らされる鐘の音は、喜びも哀しみもなくひたすら乾いた、黄泉の国から諦念まじりに響いてくるような音だ。しかし、後で吉井氏とも話したのだが、どう考えても鳴っていないはずの音が聴こえてくる。二人で演奏している厚みではなく、大勢の群衆を想起させ、祭りのような感じもある。その印象は、戸張大輔のライブを観た時に感じた厚みに近いものだった。また、ビブラートを巧みに操るテクニシャンでもあった。
 読経が終わると、ご本尊背面にある部屋を拝見し(祈祷参加者の特権)、その後本堂(供養の道場)へと移動を促される。ここで行われるのは死者の供養であり、お焼香が回された。亡き人のために、粛々とした気持ちで祈る。脇を見ると、前掲のヤンチャそうなツーリング若者も、折り目を正して祈りを捧げている。
 朝のお勤め終了。「良かったねえ」と話しながら、周辺を少し散歩しつつ、朝食を摂るべく宿坊に戻る。
 夕食で使い、洗っておいた箸と、ちゃっかりデジカメを忍ばせてロビーへ。
 昨日と同じ作法で五観の偈を唱和する。一度勝手を知っているので、皆何となく慣れていて、唱和の音量も大きくなっているのが面白い。
 吉井氏は晩ご飯のほうが美味しいと言っていたが、変わらず素朴で美味だった。ご飯お替わりした。
 食後の偈を唱えて「ごちそうさま」。箸は各自自由にお持ち帰り下さい、とのことで嬉しいお土産だ。吉井氏は「俺、もう一生この箸使うわ」と言っていた(あれから一ヶ月ほど、自分もこの箸を愛用しているが、既に塗装が剥げてきており、一生は厳しいかもしれない)。

■再度の地獄巡り

 部屋に戻り、すぐにチェックアウトできるよう荷物をまとめてから、最後の境内巡りに出掛ける。今度はしっかり靴に履きかえる。
 昨日行きそびれたスポットを拾いながら進む。山の上のほうにある奥の院不動妙王を見に行くも、たどり着く苦労に比べて意外とこじんまりとしており、後ろから来た人が「アレ、これだけっすかね」と言っていた。
 なぜか血の池地獄になかなか到達せず、結構探し回ってようやく発見。噂通り赤くないのを確認して満足(現在は酸化鉄があまり出ていない)。
 視界に入ってきた宇曽利湖は、時間帯のせいか昨日よりも青みが強く、白い砂浜との対比で、まさに天国を思わせる美しさだった。言葉を失う。これほどパノラマで、青空、山、青い湖、白い砂と、余計な景観のない光景があるだろうか?

 「カルデラ湖の周りは、植物が棲めないから綺麗なんです。とネットで見た」と後で吉井氏が言っていた。つまり、ある意味では死の光景なのだが、それゆえに美しいという皮肉。極楽浜とは言い得て妙ではないか。
 靴を脱いで水の中を素足で歩く。気持ちよいのだが、石がゴツゴツとして結構痛い。
 岩場に寝ころんで空を仰ぐ。瞑目すると静寂。海ではないので、波のさざめきなど当然聴こえない。たまに、遠くから希望の鐘だか鎮魂の鐘の音が空気の層をくぐって聴こえてくるのみ。そんな静寂に耳を澄ませていると、確かに極楽とはこういう場所かなと思えてくる。現世に還りたくなくなってしまう魂の気持ちも解るような気がする。ここはそういう際どい場所なのかもしれない。放っておかれたら一日中でもボーッとしていたい勢いだが、下北行きのバスは10時に来てしまうのだ。
 「5分後にアラームセットした。5分間無になるために」と言い放ち、瞑想に入る吉井氏。なに、その名台詞!と思い、しかと記憶に刻んだ。こういう静寂の中にいると、時間の感覚が歪み、5分間も人の一生も大差ないように思えてくる。5分間無になった。
 後ろ髪を引かれつつ、宿坊に引き返す。荷物をピックアップし、部屋を出る時「お世話になりました」とドア様に合掌し、速やかにチェックアウト。受付の男性はチェックインの時と同じ人だった。
 急いで、境内のお守り売場へ。頭部を覗くと仏様の像が見える上に、目玉が飛び出すギミックの達磨様500円也と、親に頼まれていた分のお守りを購入。
 参詣客の増えてきた境内を後にし、バス売場へとダッシュする。ここでも角井氏と会ったので、軽く会釈。どうやら同じバスのようだ。

 待合い所で煙草を吸っていると、バス運転手に「下北行きをご利用の方ですか?」と尋ねられる。なんと、硫黄の影響で停車していたバスが駄目になってしまったらしく、急遽代わりの車両を手配しているとのこと。
 どのみち、下北発の電車は11時56分であり、かなり余裕がある。極楽を満喫してフニャフニャになっていた我々は全く意に介さず、休憩所にあった回覧ノートに書き込みなどして時間を潰した。
 待合い所に常駐していると思しきお調子者っぽい爺さんが、「駐車場に車置いておくでしょう?エンジンがやられて皆駄目になってしまうんだ。指輪なんかもすぐ黒くなってしまうから、安物だとばれちゃうんだよ」と言って笑っている。水道の蛇口もすぐ酸化してしまうから、最近ステンレス製に換えたのだという。「俺のスマホのバッテリー、異様に減りが早いんだけど、これも酸のせいかな」と苦笑いする吉井氏。
 結局、バスは40分遅れで到着した。時間の早いせいか、乗客は我々と角井氏の三人だけであった。左様なら、恐山!またいつか来ます。

■現世という名の地獄

 下北に着いたのは11時15分頃であった。
 少し早いが、昼飯を採ることにする。「駅前食堂」という明快なネーミングの定食屋が食べログの評価が高かった記憶があったので、そこに即決。
 既に地元客が何組か入っている。吉井氏は「ラーメンばかり喰っているなー」と言いながら煮干しラーメン。俺はイカスミ焼きそばをチョイスした。
 この時点でフニャフニャの我々は油断していたのだが、実は電車の時間に余裕がないことに気づき、にわかに焦り出す。料理がなかなか出てこない。ラーメンが先に来て、急いでかっ込む吉井氏。電車は11時56分発だが、40分になっても焼きそばが来ないので、お弁当にしてもらうよう頼む。じきにパックに詰めた焼きそばとヨーグルトを持ってきてくれたので、ヨーグルトのみ頬張り、会計し、速攻で改札へと向かう。
 初18きっぷの捺印を貰いつつ、快速下北に滑り込み、吉井氏にお茶買ってきてもらいつつ、二人席を無事確保。
 「マア駅弁みたいなものだネ」と力なく笑いつつ、やや埃っぽい気持ちでイカスミ焼きそばを食す。味は大変美味だった。
 モソモソと喰っている横で、吉井氏が停車駅を確認しながら、「おかしいよ。この電車、青森行きで八戸は停まらないようだよ」と言うので、青くなる。
 吉井氏が念のため、隣席の地元系母娘に確認すると、やはり八戸に行くには野辺地で乗り換えが必要のようだ(母娘はやや迷惑そうにしていた)。
 完全なる俺の下調べミスであった。慌てて携帯で路線を検索しつつ、旅程を組み直す。各駅停車の旅は、一本ずれるだけでズルズルとその後の接続に支障をきたす。
 吉井氏は、13時30分に八戸に宿の送迎バスが来ることになっており、調べると八戸着は13時35分なので、5分オーバーである。吉井氏は「何とかなると思うよ」と涼しい顔をしているが、スマンと思う。フニャフニャ気分に冷や水を浴びせられ、これが現世という名の地獄か、などと思ったりした。

 12時44分野辺地着。5分の接続に成功し、青い森鉄道で八戸に向かう。
 自分の旅程はといえば、今日は夕方に遠野に着いた後はどのみち潰しが利かないと観念していたので、多少ロスが出たところで痛くはない。
 どうせ遅くなるのだったら、遠野のホテルのチェックインを遅らせてもらい、途中の花巻などを観光するのも悪くない、という考えが唐突に浮かぶ。持参したガイド本で行けそうなスポットを確認すると、レンタサイクルを借りて回れそうなエリアは、花巻ではなく新花巻周辺に固まっていることを知る。
 18時50分に新花巻を発てば、釜石線で19時46分には遠野に到達する。宿泊先のホテルきくゆうには、16時頃チェックインの旨伝えてあり、しかも夕食付きにしてしまったので、それを20時頃まで延ばしてもらえるか交渉せねばならない。
 13時35分に八戸着。ダッシュで改札を出る吉井氏を見送る。「また仙台で会おう!」ってことで、しばしの別れ。
 急に一人旅という状況に奇妙な感覚を味わいつつ、電光掲示板を確認すると、目当ての14時6分発はやて36号は「全席指定席」と書いてあり、これはまずいのではと思う。事前に押さえていたのは、12時58分発のはやて34号指定券である(今思えば自由席で良かった)。
 念のためみどりの窓口で確認すると、払い戻しは不可だが、席が空いていれば座っても大丈夫との旨聞き、安堵してホームに向かう。
 次に、チェックインと夕食が遅くなる旨をホテルに連絡せねばならない。携帯で3、4分ずっとコールするも、誰も電話に出ない。うーん。このホテル大丈夫なのか?と思いつつ、後ほどかけ直すことにして、はやて36号に乗る。

 ぱっと見た限り席に余裕はなく、いずれにせよ30分強なので、出入口付近に立っていることにする。そんな人が他にも何人かいた。
 15時17分花巻着。ホテルに再度電話すると、かなりの回数をコールして、ようやく出た。用件を伝えると、一応了解してくれたようだが、決して快い返事ではなく、若干の苦い後悔と共にテンションが下がった。しかし、ここで折れては貪欲な旅など臨めないのだと自分に言い聞かせる。
 花巻と新花巻のいずれを観光するにせよ、次の電車は15時54分発と余裕があるので、18きっぷのアビリティ「途中下車」を発揮し、一旦降りて観光案内所へ。チラシ類を漁ったが、やはり徒歩で見られるスポットはなさそうだ。
 新花巻に行くことにして、一服して待合室にて座して待っていると、釜石線15時54分発が車両交換で20分ほど遅延を見込んでいるとのアナウンスが。
 心の叫びを呑み込みつつ、地元JKに人気のありそうな「スイーツショップ風彩」にて宇治抹茶ソフト250円也を買い求め、気持ちを鎮める(というか、ソフトでも食わないといられない位、暑かった)。
 結局、釜石線は40分遅れて到着した。この時点で、すっかり気持ちが萎えてしまい、また冷静に考えるとこの時間からレンタサイクルを借りるとなると、時間がだいぶ限られるのでは、との結論に至り、新花巻を観光するのはやめにして、当初の予定通り直接遠野に行くことにする。
 釜石線、何とか席を確保。車内は黒々と日焼けした地元系中高生と旅行者が入り交じり、割と混雑していた。景色を楽しむ余裕などなく、疲れが出てウトウトした。

■遠野到達

 遠野に着いたのは、当初の予定より2時間遅れて17時35分であった。駅前は思っていたよりも拓けている印象。
 疲れを引きずって一服し、まずは旅の蔵遠野(観光案内所)へ。窓口でホテルの位置を確認しつつ、明朝レンタサイクルを借りる予定だと伝える。ホテルきくゆうの宿泊者はレンタサイクル利用料が10%安くなると教えてもらい、聞いてよかったと思う。地味に嬉しい。お土産コーナーも充実しており、諸々のカッパグッズなど目視確認。
 ホテルきくゆうは、観光案内所のすぐ裏手であった。18時前に着き、チェックイン。受付には先ほど電話に出たと思しき女性がおり、先ほどの電話とは予定が変わり早く着いたのだという旨を伝えようとしたが、特につっこまれもせず、また掴み所がない感じなので、そのまま済ますことにする。浴場や食堂の位置、朝食の時間など簡単に説明を受ける。夕食の時間をいつにするか聞かれたので、「マア18時15分頃には」と伝える。
 302号室にインして、荷物を降ろす。部屋はごく普通のビジネスホテル風であった。恐山を発ってからの諸々の徒労感がドッと出て、ベッドに身を投げてしばし瞑目。
 兎に角、夕飯を採りに食堂に行く。地元なのか、小旅行なのか判別できない初老女性二人組が先客。先ほどフロントにいた女性が給仕。
 ネットで事前に知っていた通り、食事の量はとにかく圧巻であった。刺身、焼き魚、すき焼き、肉じゃが等々。精進料理から一転してガッツリだ。味も美味。出されたものは平らげることを信条としているので、完食したが、流石に苦しい。初老女性たちは残していた。

 水を持ってきてくれないなーと思っていると、地元系若人二人が慣れた様子で入ってきて、奥の棚の水をセルフで注いでいた。うーん、そうならそうと、初めにちゃんと言ってほしいなと思いつつ、自分も注ぐ。件の女性は言葉足らずというか愛想がないというか、全体的に説明不足で、これが東北の人の感じかなと思う。もてなし精神過剰な食事量と比較して、サービスが良いのか悪いのかよく分からない。
 奥に引っ込んでしまったので、「ごちそうさまー」と声を掛けて、ロビーで一服。フロントには、主人と思しき男性が特に挨拶するでもなく納まっていた。
 何となくしょぼい気分を引きずりつつ、気を取り直して浴場に行く。タイミングよく誰もおらず。無難な広さの内風呂で、何はともあれ汗を流す。
 部屋に戻り、先ほど観光案内場で漁ってきた駅周辺マップなどを眺める。

■夜の遠野

 20時前、とりあえず夜の遠野を散歩しようと思い、デジカメを提げて外に出る。
 日が暮れるとようやく涼しくなり、湯上がりに心地よい。バイクを停めたツーリストが夜の遠野駅を写真に納めているので、こちらもその横で一枚。
 周辺マップによると、「親不孝通り」という古い飲み屋街があるらしいので、そこを目指す。特に呑もうというわけではなかったが、遠野の夜の顔を見てみたかった。
 それらしき路地を曲がると、既にできあがったオッサンがふらふら歩いており、目が合うと「どーもー」と言うので、へたに刺激せぬように「こんばんわ」と爽やかに応じる。
 親不孝通りは、何のことはないうらびれたスナック通りであった。通り抜けると普通に民家などがあり、遠野の暮らしに少し思いを巡らせ、ふと空を見上げると星が多かった。恐山では見れなかった光景だ。
 取りあえず何もないというのを確認して、駅側に引き返す。地図を見ると来内川というのが流れているようなので、今度はその方向に歩を進める。やはり宿泊客と思しき人々が夜の散歩をしているのとすれ違う。
 ほどなくして来内川が現れた。川幅は決して広くない。人気はまるでなく、闇にまぎれて寂しい気分になる。

 「あえりあ遠野」という、最初に予約を入れようとして取れなかったホテルが現れ、大変立派なつくりなので、ここが取れればよかったなと思う。
 とぼとぼと川沿いを歩いていくと、市民センターのようなところで10数人がヨガだかストレッチだかに興じているのがガラス張りの向こうに見えて、奇妙な光景に思えた。
 埒があかぬので、また駅側に引き返す。途中、蔵づくりの建物が現れ、資料館の様子。明日、時間があれば来ようと思う。
 歩いていると、ホテルきくゆうまで戻ってきてしまった。1階の食堂が先ほどはいなかった団体客で賑わっているのが外から見えた。何となく疎外感を覚え、さらに別方面に歩く。
 釜石線の踏切に出た。夜の踏切など写真に撮っていると、一体こんなところで何をやっているのだろう、という思いが頭をもたげ、ばかばかしくなり、宿に帰ることにする。
 部屋に戻り、何となく自棄な気分のまま「逆転裁判5」の続きをプレイする。2話の舞台は九尾村というのだが、ここが妖怪で村おこしをしているという設定で、まさに遠野そのものなので、シンクロニシティにひやりとする。世界は不思議で一杯だ。
 やめ時が難しく、結局12時過ぎまでプレイしてしまい、遠野くんだりまで来て何をやっているのだろう、と絶望する。
 ひと風呂浴びて寝ようと思い、浴場に行くと先の団体客の一人と思しき先客。カゴは一人で二つ占有しているは、服は地面に脱ぎ散らかしているは、嫌だなあと思っていたら、俺の足下に落ちていた服を乱暴に拾い上げるので、カチンと来てしまった。
 「手前は普通に拾えねえのか。もう一回落ちていたところからやり直して、正しい作法で拾い直せ、この半端チンピラが!!」と諭してやりたかったが、野郎二人素っ裸で深夜にやり合うのもどうかと思い、ぐっと呑み込み、冴えない気分で入浴し、自販機でやはり500mlの缶ビール(300円)を購入し、それを淡々と干し、眠った。
 すでに恐山が懐かしかった。枕は昨日とうってかわって柔らかかった。