日光旅行記〜初日。(前篇)

 2013年12月30日から日光に一泊した。年内にもう1回旅行したいと思い立ったのが既に12月半ば頃で、じゃらんで検索した挙句、一人旅のつもりで始めに川治温泉の安い宿を押さえた。しかしその後、日にちをずらせば吉井氏も来れると言うので、鬼怒川温泉に変更するも、日光のほうが遊べそうという話になり、再度キャンセル。最終的に戦場ヶ原雪山ハイキングを含みつつの日光旅行となった。交通については事前に「まるごと東武日光フリーパス」4,030円也を入手した。浅草から東武日光区間と日光エリアのバスが4日間乗降自由になるので、これを存分に活用する算段である。

 12月30日(月)午前5時起き。外はまだ真っ暗。今回は雪上ハイキングのため、がっちりスキーウェアで上下を固め、5時40分出発。完全防備のはずが、それでもしっかり寒く、東京の寒さを実感。三ノ輪から日比谷線で北千住へ。ここから東武スカイツリーライン快速に接続する。その前に一旦改札を出てコンビニでたまごサラダロール100円とミルクコーヒー120円購入。ホームの端っこでそれらをもそもそ食す。
 やはりスキーウェアに身を固めた男の後ろ姿が吉井氏に似ているなと思って見ていると、リュックに遠野のカッパ君ストラップが付いていたので、彼であると分かった。スムースに合流できたが、間もなく電車が出たため彼は朝飯を買いそびれた。
 6時31分北千住発。二人掛けの座席を無事確保し、後は乗りっぱなしで東武日光に着くのだから楽なものだ。車内はさほど混雑しておらず、大きなリュックを携えた硬派な登山客の姿がちらほら。吉井氏は昨日殆ど眠れなかったそうで既にグロッキーであったが、未だに固まっていない旅程について氏の持参したガイドブックを見ながら相談する。
 問題なのは専ら雪の状態である。自然を楽しむのであれば山道を選びたいが、我々の装備は吉井氏が長靴、俺はマーチンのブーツという軽装である。スノーシューをレンタル(1000円)するという手もあるにはある。
 当初の予定は東武日光からバスで三本松というバス停で降り、そこから戦場ヶ原付近を散策しつつ湯元温泉に至り昼食後、日帰り入浴というルートである。しかし、このルートは吉井氏によれば難易度が低く、自然ふれあい度も比例して低いため、三本松の手前の赤沼で降りて自然研究路という道を選んだほうが、より戦場ヶ原に接近でき景観も宜しいとのこと。いずれにせよ、現地を踏まないことには判らない情報が多いのだ。
 おもむろに吉井氏が「靴下に貼るタイプのホッカイロ持ってきたけど、使う?」と言うので、有り難く頂戴する。結果的にこれは重宝することになった。吉井氏は幼稚園の頃幾度となく山を踏破してきたという猛者であり、対してこちらは山ド素人であるため、大人しく従うことにする。
 ニット帽を深く被って朝日を遮り、仮眠を取っているとほどなく東武日光に到着した。

 ここからバスの乗り継ぎは11分しかない。先ほど朝食を買いそびれた吉井氏は急いで売店に走る。しかし弁当類しかなく、仕方なくビーフジャーキーと薫製の卵というおつまみ的なモノを買う吉井氏。
 駅を出ると、バスターミナルは目の前であった。

 遠方には白銀を頂いた山が連なり、早くも感動。「俺はこういう場所を求めていた!」と叫ぶ吉井氏。この時点で道に雪は積もっておらず、寒さも早朝の東京のほうが厳しかったくらいだ。これなら余裕なんじゃないか?と早速侮る我々。
 8時36分湯元温泉行きバス出発。ここから赤沼までは1時間3分だ。東武日光から日光の社寺に至る町並みは、歴史のある観光地といった趣きで、華やかすぎず寂れてもおらず、実にいい風情だった。途中、今夜宿泊するホテル「日光季の遊」を目視確認。「本日満室」の看板が出ていた。ガイド本に載っていた「神橋」を通過。車窓から見て「思ったよりイイネー」などと言い合う。日光の社寺にぶつかるT字路で左折し、本格的に山道を上っていく。道端に雪が散見され始めたが、「この程度ならいけるな」と批評しあう。実際には標高が高くなるにつれて雪の割合はどんどん増していくのだった。
 このまま雪山に突入するのかと思いきや、レストランやホテルの建ち並ぶ一角に至り、そこが中禅寺湖であった。降りる人々も多い。車窓から見える中禅寺湖は広く、雄大であった。氷は張っていない。春や秋にはかなり素敵な景観なのだろう。中禅寺湖を抜けると道が小刻みに蛇行し始め、本格的に山道に入っていく。積雪量もどんどん増していくように思える。途中トンネルに入り、「これは抜けると2、3ランク厳しくなっているやつじゃないか?」と言い合う。事実、完全に雪景色ではあった。
 9時40分赤沼着。降りたのは我々だけだった。バス停周辺には予想以上に何もなく、営業していないレストハウスがあるのみ。一応駐車スペースがあり、登山客だかスキーヤーだかの姿はちらほら。

 兎も角、久々の白銀の世界に高揚し、写真を撮る。この時点でマーチンのブーツの耐雪性は不明である。おそるおそる新雪(昨日降ったらしい)に足を突っ込むも、とりあえず水は染みてこない。イケルと思った。吉井氏が念のためgooglemapが有効か確かめると、ちゃんと機能するようで、遭難の危険もなさそうだ。
 いざ、ということで自然研究路の看板を横目に出発。自然研究路は戦場ヶ原に延びる木道である。しかし、木道の脇に設置された木杭のみが見える状態で、あとは雪に覆われて見えないのだった(一応、道の部分は何となく踏み固められているのだが)。あと、入り口に「木道整備中」の看板が出ていたのも気になる。立ち入り禁止とは書いてなかったが・・・。

 戦場ヶ原は中禅寺湖の北に広がる湿原であり、多彩な花の咲く草原やミズナラやシラカバなどの美林、湯川の清流など多彩な魅力がある。オンシーズンにはハイカーで賑わうらしいが、流石に真冬に来る輩はかなりの物好きのようで、人はほとんどいなかった(ただし、雪に覆われた戦場ヶ原は荘厳であり、コアな人気があるらしい)。
 颯爽と歩き出す吉井氏の後ろを着いていく。

 見渡す限りの雪景色に現実感が乏しい。しばらく行くと展望台と思しきスポットにベンチがあるのだが、これも雪に埋もれて頭しか出ていない。しかし、そこからパノラマで広がる雪原と男体山の眺望は絶景だった。「うわー目に焼き付くなー」と嘆息する吉井氏。

 俺も何とも言えぬ解放感を覚え、ふと道ばたにこんもりと盛られた雪の上に座りたくなった。なるべく雪の厚そうなところを選んで腰を落としたところ、これがまずかった。新雪は体重を掛けるとズブリと沈みこみ、まるで抵抗なく重心が取られ、危うく荷物ごと湿原に落下しそうになった。パニクりつつ木道にしがみつき、辛うじて身を起こす。いかに頼りない足場を歩いてきたのか、初めて自覚する。全身雪を被ってしまい、見ると首から提げたGR4も雪まみれになっているので、焦ってタオルを取り出し懸命に拭く。つげ義春の「無能の人」シリーズで、雨ざらしになったカメラを前に「ああ、カメラが濡れたらおしまいだ」というシーンが脳裏をよぎる。
 前方にいた吉井氏がようやく異変に気づき、「ちょっと大丈夫?」と言っている。非現実的なまでに美しい白銀の世界がはらんだ一抹の死の予感。何ともエグい。
 反省も束の間、腹いせに手近な雪を掴み、湿原に向けて放り投げるも、パウダースノーはぱらぱらと空中分解してしまうのだった。すると吉井氏が「あ」と言って後方を指さすので見ると、投げた反動か風に煽られたのか、俺のデストロイヤーマスクが雪原に放り出されているではないか。綺麗な雪の上にちょこんと鎮座しているが、踏めば底まで抜けるのは必至。木道から手では届かない距離だ。そこで、木道に横になり、足を使って徐々に引き寄せる作戦。こんな風景の中でアクロバティックな動作をしている自分というのは、さしずめどんな点景かしらと情けなくなる。しかし、無事マスク回収。連チャンでファイト一発!的状況を味わい、自然を侮ってはイケナイと痛感。
 反省し萎縮していると、周囲が全くの静寂であることに気づく。雪に音が染み込むようで、恐山の極楽浜で意識して以来の静寂だ。
 だらだらと景色に見とれていると、後方からスノーシューを履いた夫婦が現れた。吉井氏が登山家シップを発揮し「こんにちわー」と爽やかに挨拶するも、夫婦ガン無視。呆れる我々。一度やり過ごしたが(狭い木道なのですれ違いに苦労する)、ムカツクので再度追い抜いた。
 途中、ムーミン谷に自生していそうな背の高いイビツな形の木があったので写真を撮る。

 そこでもう一組の夫婦とすれ違う。一眼レフを携えた山岳写真家のような年季の入った夫婦で、こちらは清々しく挨拶してくれた。「絶景ね!」と言うので「最高ですね〜ウヘヘ」と薄笑いで応じた。
 その後、川を挟んだ小さな橋(恐らく青木橋)が現れ、滑って落ちたら死ぬので用心して渡るも、頭上には木の枝が迫っており、おまけにこれがニット帽によく引っかかる。上も下も注意しながらという、何かアスレチックな感覚で昔のアクションゲームを彷彿とさせた。

 そして、昔のゲームよろしく橋を渡ると難易度が増した。先人の足跡が辛うじて1、2組残されているのみで、道が判別できないのだ(ここまでは曲がりなりにも雪かきされており、道の部分は高低差があった)。踏み誤ると膝丈まで雪にはまる。
 そのうち、先ほどやり過ごした愛想の良いほうの夫婦が木の下で写真を撮っているのに追いついた。「気になさらずどうぞ」と身を避けてくれるので「スイマセーン」と追い越そうとするのだが、その傍からマーチンのブーツが滑ってこけそうになる(底が減っているせいか、凍結した上でよく滑った)。
 歩を進めると、本来のルートである湯滝方面と小田代ヶ原探求路に分かれる分岐に出た。

 昼刻には日光湯元に到達したいのであまり寄り道する時間はないのだが、吉井氏が小田代ヶ原も恐らく絶景であると言うので、ちょっとだけ入ってみることにする。
 地味な勾配をざくざくと登り、体力が削れる。しかし行けども行けども林が途切れず、視界が開けない。10分ほど進んだ時点で諦め、引き返すことにする。下りは面倒なので一気に駆け降りる。雪に足を取られるので半ば滑るように降りたほうが楽。傾斜のきついところは最早尻で滑った。スキーウェアで来て本当に良かった。
 先ほどの分岐に戻ると、先刻の夫婦がまたいた。やはり小田代ヶ原に行くか迷っている様子だったので、なかなか景色が開けぬ旨伝える。
 そこから少し進むと、林の切れ間にベンチがあり、そこで皆弁当など昼食を採っているのだった。そういえば既にお昼に近い時間であり、吉井氏が「さっき弁当買えばよかったよ」と嘆く。とりあえず我々も小休憩を取ることにして座り、ビーフジャーキーやグミなど乏しい食糧を少し採る。
 今後の道程を相談。ひとつは光徳のバス停に出てそこから湯元温泉に行くか、湯滝方面へ歩き、あくまで徒歩で湯元を目指すかである。ここから湯滝まで吉井氏のガイド本によれば50分とあり、雪道を考慮して多めに見積もっていたが、ここまでのペースを考えると50分で歩ける距離と踏んだ。また、苦労したほうが温泉のありがたみも増すとの判断により、あくまで徒歩と決めた。
 気合いを入れ直してベンチを後にする。少し行くとまた橋がある。比較的新しいものなのか、木造ながらしっかりとした造りの橋である。道が分岐しているが、いずれも湯滝に行けるらしかったが、ひとつは林の中を散策できる遊歩道となっていた。恐らく紅葉のシーズンなど素敵なルートだと思うのだが、そこに至る下りの階段が雪が積もって階段の形状を成しておらず、下るだけで死の予感がしたので、もうひとつの湯川沿いに歩く順当なルートを選ぶ。なお、「熊出没中!熊鈴を携帯してください」との張り紙がしてあり、今更そんなこと言われても・・・と思う。遭遇せぬよう祈るばかり。

 橋を抜けると、湯川沿いを歩く道が続く。

 雪化粧をした湯川はいかにも野趣に溢れた素敵な景色だが、雪道の難易度も最も高かった。道を踏み外したり滑ったりすれば、下は即、川である。二股に分かれた木道は境目が判別できない。そして真ん中はすっぽり底まで抜けており、うっかりすると足が思い切り沈むので、悲鳴を上げながら進む。「これ、スペシャルコースじゃね?」「俺もう残機1機しかねえわ」などと言い合う。何度もスリップしてアドレナリンが分泌する。時折立ち止まって景色を眺めたり、振り返って写真を撮ろうとするのだが、そのたびに足下がズブズブと沈む。
 これ以上難易度が上がったら無理だぞと思っていると、ようやく湯滝の入り口が見えてきた。達成感というよりも、助かったという安堵が先だった。格子の扉をくぐると、そこが湯滝だった。自販機があったので何か温かいものを、と思ったが「冬季休業中」の張り紙がしてあり、腐った。
 一息ついたのも束の間、眼前には湯の湖に至る激しい勾配の上り坂が立ちはだかり、愕然とする。坂の前にいた太った警備員に、この上り坂はどのくらい掛かるのか尋ねると「私だと30分掛かりますが、普通の人は10分くらいで歩くようです。でもカンジキがないと正直お勧めはできません」などと言う。湯滝入り口のバス停まで徒歩20分くらいで迂回するルートもある。マーチンの靴がとにかくスリップするので不安でもある。
 うーん・・・と迷いつつ、とりあえず湯滝を見物することにする。湯滝は想像以上に間近で見ることができ、幅広で迫力があった。

 「なにげに今まで見た滝の中で一番スゴいかも」と呟く吉井氏。展望台で記念撮影をして、家族連れに譲る。
 滝を見てマイナスイオンパワーを吸収したのか、「行くか!」と言い放ち、坂に挑み始める吉井氏。ラストスパートと思えば乗り切れるであろう。俺も後を追う。案の定すぐに息が切れるが、新雪が幸いして危惧したほど滑りはしなかった。脚にはまだ余裕があるが、肺が辛い。吉井氏も途中でダウンし、休み休み行くことにする。後悔する間もなく、10分ほどで上りきった。そこがもう湯の湖である。猛烈な風が吹き抜けてくそ寒く、達成感どころではない。
 湯の湖は想像以上に大きく、一望するために湖のほうに延びている橋があったが、寒すぎてそこまで行く気力はとても湧かなかった。湯元温泉に至る車道を歩いていく。この区間は景色に変化が乏しく、坂を上った時点で気力が消耗していたため、正直だるかった。早く着いて昼飯にありつきたいが、どの位で着くのか判然としない。惰性で歩を進める。

 湯の湖は、湯滝に近い手前のほうで湖面が凍結していた。うっすらと氷を張っているだけだと思うが、試しに手頃な雪を投げ入れると、表面でぱらぱらと砕け散り、氷を割ることはできなかった。鴨の群れが湖畔を移動していたので、大きめの雪塊をフンガーと投げると、優れた反射神経でバーッと飛散し、優秀だと思う。てかゴメンと思う。
 徐々に硫黄臭がうっすらと漂い、心なしか湖からも湯煙のようなものが立っている。恐山の宇曽利湖を思い出すなーと思っていると、「湯の湖ホテル」というのが見えてきて、湯元温泉に到達していた。
(後篇に続く)