日光旅行記〜初日。(後篇)

 時刻は既に13時半頃。無料の足湯も行きたいのだが、昼刻を逃すと食事にありつくのがより困難になると思われたので、先に食事のできるところを探すことにした。空腹であり、もはや腹に収まれば何でもよかった。途中、なまじ雪掻きされているせいか凍結した路面で何度もスリップし、一回本気でずっこけた。「お食事処」と書かれた建物を発見し、助かったと思ったのも束の間、冬季休業中の看板が出ていた。甘く見ていたが、今日は12月30日で思い切り年の瀬なのだ。
 仕方なく、近くにあったビジターセンターで尋ねることにする。

 とりあえず暖かい室内に入り解凍される。受付にいたお兄さんに早速「お勧めの食事できるところありますか」と問うと、少し苦い顔をして「この時期だと、スキー場のロッヂは確実に食べれますけど、あとは『ゆの香』という旅館くらいですね」と言う。一応、ロッヂは最終手段として旅情を求めてゆの香を目指すことにする。向かう途中、無料の足湯「あんよのゆ」の前を通るも、ひとまず素通り。ゆの香に到達、ようやく飯にありつけると思いきや、やっているのは入浴のみで、食事は今やっていないという。まんまと食わされたのだ。もはや怒りも感じず開き直り、ロッヂで食べようと決めて、先に「あんよのゆ」に入ることにする。
 比較的新しく小綺麗な建物で、冬季のせいか湯が張られているのは全体の半分くらいだったが、それでも十分な広さがあった。家族連れが一組入っており、写真などを撮っている。ともかくかじかんだ手で靴を脱いでひざをまくり緑がかった乳白色の硫黄泉に足を入れると、かなりの高温だ。低温火傷しそうなレベルだが、ぐっとこらえて入ると次第に慣れてくる。疲れた足にむちゃくちゃ有り難い。那須湯本で入った足湯よりも遙かに良い案配だ。

 張りつめていた神経が緩やかにほぐれていく。「全身浸かりて〜」と叫ぶ我々。とりあえず反則的に手のみ漬けると、温度差でジンジンと痺れる。念のため吉井氏がロッジに電話をして確認すると、食事は16時までやっているとのことで、これでもう安心だ。
 20分ほどゆっくりしてお暇し、最早気持ちに余裕をもって温泉街の反対側に再度引き返しロッヂを目指す。途中、「御食事」「日帰り入浴」と表示された看板が多数見受けられ、「それ俺らが求めているものじゃん」などと言い合う。軒には巨大なつららが散見され、雪国風情を醸している。
 やがてスキー板を担いだ親子連れの姿が目立つようになり、目的の日光湯元スキー場に到達した。当然なのだが、完全にスキー場なので笑えてくる。

 リフトの「キンコーン」という合図音に郷愁を覚える。チャラチャラしておらず、昔ながらの堅実なスキー場で好感が持てた。とりあえずロッヂに急ぎ、メニューを眺めた末、奮発してカツカレー1,200円を頼む。吉井氏はラーメンをチョイス。厨房に食券を渡す形式で、やはり懐かしさを感じる。予想を裏切らないジャンクなカツカレーだが、大鍋で作るからかよく煮詰まっており、また空腹は最高のスパイスであり、勝利の味がした。

 周囲を見渡すと子連れの家族が圧倒的多数であり、恐らくファミリー向けのなだらかなゲレンデなのだと思われた。ちなみに我々はスキーウェアを着用しており、板と靴を借りればスキーもやろうと思えばできるのだが、リフト半日券で3,500円も掛かる。レンタル代も含めば6〜7,000円の出費と思われたので、貧乏旅行を信条とする我々は諦めた。ゲレンデの雰囲気自体は大変気に入ったので、いつかスキーを主目的にして再訪しようということにした。
 スキー場まで来てスキーをやらないのは後ろ髪を引かれる思いがしたが、雰囲気だけでも楽しめてよかった。空腹も満たされたので、奥日光小西ホテルに日帰り入浴をすべく向かう。ここは通常1,000円掛かるが、吉井氏が事前にプリントアウトして用意した観光協会のチラシを見せれば600円に値引きされるのだ。

 往時は本当に繁盛したと思われる堂々とした造りのホテル。フロントに行き、日帰り入浴である旨伝えると、何か飄々とした対応の手練れのスタッフ。時間制限があるのか尋ねると、「いや特には・・・。ウチの温泉は熱いからそんなに長くは浸かっていられませんよ」などと人を食ったようなことを言うのだ。
 とりあえず脱衣所に行ってみる。微妙な時間のせいかさほど混雑はしていない。スキーウェアを脱いだり着たりするのは極めて面倒で、発狂しそうになる。ようやく諸々をロッカーにぶち込み、入湯。先ほどのあんよの湯と同様の硫黄泉だ。内湯に入ってみると、成る程クソ熱い。しかし身体が一気に解凍され、このくらいパンチのある温度が助かる。長くは浸かっていられないので、続いて露天風呂へ向かう。ぐわー寒いと叫びつつ湯に浸かると、こちらは大分温めで、いつまでも浸かっていられる温度だった。岩の至るところに雪が被っており、予想以上に風情のある感じで嬉しくなる。「1年の疲れが取れますねー」と言う吉井氏。湯質も申し分なく、600円でこの内容は相当贅沢なのではないか。
 内風呂と外湯の往復を数回繰り返していると、露天がにわかに賑わってきて、自然発生的に会話が生じているのだった。俺はこの手の会話に加わるのが苦手なので、黙って聞き耳を立てる。話しているのは、どうも我々と似たようなルートで戦場ヶ原を散策してきた中年のカナダ人男性(日本語が堪能)とその日本人の友人、また昨日このホテルに投泊したらしい我々と同年代のスキーヤー2名である。スキーヤーたちが三鷹と吉祥寺から来たというので、吉井氏のほうを見ると、吉井氏が「エ、僕荻窪ですよ」と会話に入っていったので、おおー行ったと感心する。話題が冬の戦場ヶ原に及び、いいですよねーと話していると、カナダ人男性がにやりとして「静か」と言った。その横顔を見て、「風立ちぬ」の軽井沢に現れるドイツ人を思った。彼はメフィストフェレスかもしれない。
 そろそろ頃合いだと思い、上がる。湯治の方法に従い、最後にカランで身体を流したりはせずに上がる。身体はすっかりぽかぽかしているが、瓶牛乳を飲みたいと思ったが見あたらず、吉井氏は名産と思しき「レモン牛乳アイス」というのを食べている。俺は今朝買ったミルクコーヒーが残っていたのを思い出し、それを飲んだ。
 遠慮して変なスペースで座っていたのだが、一応客なんだから少しくつろごうよ、ということで窓際の大きなソファに移動する。すると、本格的な薪の暖炉があったので感動する。

 勝ち組感を錯覚しつつソファに沈んでいると、年配のボーイが「あれ、お客さんですか?」と話しかけてくる。「エエ、まあ入浴だけですがね」と返すと、「ですよね。こんなイケメンさんたちが泊まっていたらすぐに覚えますから」と随分調子がいい。「次は宿泊で来ますよ」と言うと、「ぜひ。うちは温泉と食事が最高です。自慢はそれだけですがね。昔は爺さん婆さんしか来なかったのが、最近は若い人たちが来てくれるようになって嬉しい。次は"コレちゃん”と来て下さい」と小指を立てるので、参ってしまった。
 何か景気よく送り出され、日の暮れかかった街をバス停まで向かう。時間を見ると次の17時10分まで少しあるので、待合い所に入る。中に入ると中東系と思しき若い男女のスキー客数人が知らない言葉ではしゃいでいる。随分ディープなところまで来るんだなーと思いつつベンチに座る。外に出て一服。建物の灯りが雪の中で幻想的に感じられた。

 やがて到着したバスに中東系集団とわらわら乗り込む。車内は割合混雑していた。中東系の若者たちは最初バスの中でもテンションが高かったが、疲れが出たのかそのうち静かになった。俺も吉井氏も眠りこけた。
 18時13分神橋着。降りた目の前が宿泊先の「日光季の遊」で、送迎バスのようだ。大分高低差があったためか、鼓膜がびきびきと言う。宿に行く前に、隣接する食事処をちらと見たが、ことごとくクローズなので不安になる。宿は軽朝食しかついていないのだ。
 とにかくチェックインしようということで中に入る。

 前金制のためお金様一人6,000円を支払い、ついでに夕食を採れるところを聞く。地元でも人気というステーキ屋「えんや」と、TVにもたまに出るという食堂「すずき」をお勧めされる。宿泊者の旨伝えるとウーロン茶などのサービスもあるらしい。ゆば料理が食べれるところはないのか尋ねると、ゆばをやっているのは昼のみなのだという。まあ明日食べればいいかということで、部屋に行く。
 十分な広さかつ清潔で満足。とりあえず煩わしいスキーウェアを脱ぎ捨て、普段着に着替える。吉井氏が今日はアメトークスペシャルだと言って見始める。俺はGR4を持ってホテル内を散策しに行く。ビジネスホテル然とした無駄のないつくりながら、暖かみのある雰囲気で好印象。1階エレベーター前に灰皿を発見したので一服し、また給湯式の自販機があったのでホットカフェオレを飲む。疲れた身体に染みた。フロント前のラウンジに日光の観光ガイドやチラシがあったので、いくつかピックアップして部屋に戻る。
 お昼が遅かったので若干まだ空腹ではなかったが、散歩がてら食事に向かうことにする。フロントに鍵を預けて外出。貰った周辺地図を見ながら歩いていく。通りは閑散としており閉まっている店ばかりで、食事にありつけるのか不安になる。街並み自体はやはり古く、明治後期くらいと思しき年季の入った建物が散見された。郵便局の看板は景観に配慮してか茶色であったが、一軒だけあったガストは思い切りガストカラーなので笑える。空を見上げると星がかなり綺麗。
 ところで、先ほどまで肉喰う気満々そうだった吉井氏の様子がおかしく、急に「軽めでいい」と言い出すのだった。しかし、教えてもらった二軒のうち洋食屋はやっておらず、ステーキ屋「えんや」しか空いていなかったので、そこに行くことにした。enyaにかけて「オリノコ・フロウ」という高度なおっさんジョークを飛ばしてみたが、吉井氏はenya興味ないらしく無効であった。店内は成る程繁盛しており、地元客なのか観光客なのか区別がつかぬが、ステーキをがつがつイワしているのだった。
 メニューを開くといよいよ吉井氏の様子がおかしく、食欲がないと言い出す。そしてネギマ、鶏レバーの串焼きと冷やしトマトとトマトジュースという、飲み屋的な注文をするのだった(この店はそういったメニューも充実している)。俺はステーキと迷った末、100g単位で注文できるハンバーグ200g(1300円)とライス(270円)にした。いずれもサービスのウーロン茶がついた。

 吉井氏は俯いたまま沈黙してしまい、聞くとどうも頭痛と吐き気がするのだという。「高山病かもしんね」と言い、スマホで高山病の症状を検索する吉井氏。小西ホテルを出た辺りから調子がおかしいと言うので、湯あたりもあるかもしれない。トマトジュースを数口飲んだだけでトイレに行きそれを返上してしまうほど重症だ。大変不憫だと思うも、ハンバーグ美味であり、ご飯お替り自由なのをいいことに3杯平らげるKYな俺。おまけに、吉井氏は頼んだ串モノを来たまま残そうとしていたので、それはイカンということで結局全て俺が片づけた。我ながら半端ないと思う(流石に会計は持った)。
 ボルタレンを持参しているというので、早々に宿に戻り服薬することにする。うらびれた夜の日光を言葉少なに歩いて帰った。布団を敷いて早々にダウンする吉井氏。俺は入浴の用意をして灯りを消して出て行こうとすると、「あ。アメトーク観てもいいすか」と言ってテレビをつけるので笑えた。
 一階に降りてすぐには大浴場に行かず、先ほどの喫煙スペースに陣取り、早々に旅日記をつけ出す。旅の記録は忘却との戦いだ。30分ほどメモを取った後、大浴場に向かう。可も不可もないビジネスホテル併設の大浴場といった印象だが、小西ホテルの後では流石に物足りなく思えてしまう。湯もいかにもぬるい。先客は日本人と朝鮮人の2人連れで、何やら英語で会話をしている。それが無遠慮な音量なので居心地が悪い。頭髪を洗浄した後、速やかに上がる。部屋では喫煙できぬので350mlの缶ビールを喫煙スペースで喉を鳴らして呑む。部屋に戻ると、意外にもまだテレビがついており、「だいぶ回復してきたわー」と言う吉井氏であったが、風呂には入らずそのまま寝るようだ。歯を磨き、携帯とGR4を充電する。布団が1枚では薄いように思えたので、普段着のまま寝た。