つげ義春「貧困旅行記」

juriano2013-10-07

いま紀行文を意識的に読もうとしており
つげ先生の紀行文を再読しているのだが
発見があって面白い。


箱根篇の、大平台という温泉地の描写。


【大平台は展けた丘の斜面の新興の温泉。民宿のように小型の宿屋が二十数軒ある。森も渓谷もなく景色は単調。宿代が安いのだけがとりえで、一泊五千円の八千代荘に投宿した。しかし冷凍食品ばかりの料理には食欲が失せた。食堂で食べる式で、二十人からの老人客にとり囲まれて、静かな老人たちで、なんだか寂しい気持ちになった。この宿に決める前に、小さな宿屋に一度入った。宿屋造りをしていない普通の町屋の構えで、民宿風でもない下宿屋のような感じで、部屋も三つほどしかなかった。あいにく窓のない暗い部屋しかなくとりやめたが、主人は教師のようなタイプで、勉強でもしたくなりそうな宿屋で、変った宿屋が好きな自分は、あとで面白そうに思えて、そちらに泊ればよかったと悔まれた。】


と、散々な描かれ方をしているのだが、
この「八千代荘」とは正しくは「弥千代荘」であり、
つげ先生の記憶違いだと思われる。
なぜわかるかというと、前に偶然にもここに泊まったから。
意図せずにつげ先生と被っていて感動した。


あと、つげ先生は1970年9月に下北半島を周遊し
恐山にも泊まっており、しかもその帰途に遠野に寄っており
ここでも旅程が被ったのでなんかスゴイと思った。
まあそれだけのことなんだけど。